【書人RoseRie(ロゼリー)】何かひとつを極めることができない私にも出来ること

ケントです。

いつもありがとうございます。

僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。

しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。

なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。

一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。

僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。

ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。

ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。

また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。

そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。

ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、

生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。

何よりも自分の資産としては残りませんよね。

「書人」

自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人

僕は「書人」をこのように定義しています。

そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、

すなわち、

「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成

これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。

コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。

そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))

もし良かったら、読んでみてくださいね。

もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。

ケント

はじめまして。ライターのRoseRie(ロゼリー)と申します。

書人百花で深く学ばせて頂き、スタートラインに立ったばかりの書人です。

今回は有難いことに、ケントさんから「書人からの手紙」を書いてみないかとのご提案を頂いたので、きっと今から大きな一歩を踏み出すであろう貴方に、より近い存在としてお話ができればと思います。

私も今現在、ワクワクでいっぱいです!

 

 

私という人間をつくった子ども時代

私の人生は、ひとに語れるほど立派でも、続きが気になるほど波乱万丈でもありません。
しかし、経験をし続ける人生とは言えるかもしれません。

ここからは、そんな私の話をさせていただきます。

2歳のころから数年習った日本舞踊では、大人の中に一人混じってお稽古していました。
男型の先生でしたので、それはもう恐くて。
練習着である浴衣を着付けてくれる母に、毎回「行きたくない」と泣いていたことを覚えています。

その後習い始めたピアノも乗り気でなく、練習をサボってばかりでしたが、母は先生から「この子には才能がある」と言われたそうです。
妹は、そんな私に憧れ「お姉ちゃんみたいになる!」といつも言っていました。
そして、迎えたコンクール。
受賞したのは、妹でした。

クラシックバレエは、本当に興味がなかったのでしょう。記憶が残っておりません(笑

小学校に入って始めたエアロビクスは、世界チャンピオンの所属するスタジオでした。
そのため、部活動と同等もしくはそれ以上の練習量でした。
同じ年の仲間ができ、ペアやグループの楽曲を自分たちで振り付け始め、アマチュアの大会ではそれなりに受賞することも増えました。
仲間とは家族以上に一緒の時間を過ごし、学校以上の生きがいになりかけていた、そんな時でした。
講師から求められる金額が、次第に高額になっていきました。
母と講師の間で話し合いが続きましたが、折り合いがつかず、ある日突然、母から「もう辞めなさい」と言われました。
当時の私は、母からお金の話はされていませんでしたので、何が起きたのかもわからないまま辞めることになりました。
生活の中心だったエアロビクスの練習。地元の友達より優先してきた仲間。何もかも失ったような気持ちでした。
ぽっかりと空いた心の穴は、高校受験の時期になっても埋まりませんでした。
「どこの高校に行こうがどうでもいい」と思っていたことが当時の喪失感の深さを物語っています。

ここまで読んで、お気づきの方もいるかもしれません。

全て、私自身が「やってみたい!」と始めたものではありませんでした。

日本舞踊は、芯の通った人間になるように。
クラシックバレエは、女性らしいしなやかな身体を作るために。
エアロビクスは、クラシックバレエ教室が工事のため数か月お休みになったので、その間の穴埋めとして……。
など、母の想いが詰まった「愛のカタチ」であったかと思います。

大人になった今では、それがいかに幸せなことだったかは理解できます。

しかし、後にお話しする私のコンプレックスを作った原因ともいえるのが、これらの経験だったのかもしれません。

 

 

他人に導かれる人生は続く

前途したように高校受験に全く興味がなかった私は、「社会に出てしまえば、女子だけの世界なんて経験できないから」という、理由がないから付けたような理由でなんとなく女子高に進学しました。

それがまた私の人生を狂わせます。

指定の靴下は中途半端に短く、長いスカート。ワイシャツのボタンは一番上まで閉めなければいけません。指定の革鞄は、持ち方も決まっていました。まさに、戦後のお嬢様学校のようなイメージです。

元々、ルールに縛られるのが苦手な私には、まったく合わない学校に入学してしまったのです。
もっと事前リサーチをしていれば、こんなことにはならなかったのですが、なにせ受験の時には「どうでもいい」と思っていましたから後の祭りです。

そうして、恥ずかしながら反抗期は延長線へと突入しました。
それに伴い、母とは最悪の関係でした。

母との仲が悪くなるほどに「早く自立して家を出たい」と思うようになっていた私は、高校を卒業してもバイトの掛け持ちをして自由に暮らしました。
若さゆえ単純に、働いてその時のお金を稼げればいいと思っていたのです。

それを見かねたのが、遠方に住む叔母でした。
「卒業してバイトだけしてるのなら少し休んで、こちらに遊びにいらっしゃいな」
数年に一度しか会わない叔母からのお誘いです。母と2人で叔母のところへ旅行に行きました。

騙されました。

数日間の観光を楽しんだ後、飛行機に乗って帰ったのは母だけでした。

ここから、叔母との生活が始まりました。
叔母は看護師で、当時も現役。キャリアを築いていました。
未亡人で子どももおらず、一人でたくましく生きていました。
子どもを育てた事のない厳しい叔母と、反抗期を長々と延長している私。
はい、もちろん色々とありました。
結果的には叔母の援助と喝を受け、働きながら通える准看護学校に入学し、無事に資格取得。

幼少期同様、自らのアクションとはいえませんが
ここで初めて私に、准看護師という肩書きができました。

 

 

好きが見つからなかった、私のコンプレックス

私のコンプレックスは、ひとつを極めることが出来ないことです。
ある程度の事は、こなすことができます。いわゆる、器用貧乏というやつです。
でも、本当に好きにならない・本気になれないから続かない。そんな人生。

准看護学校に通学中は、朝から昼まで病院で働き、午後の学校が終わるとまた夜まで病院で働き、毎月の学費を支払いました。
そうやって苦労して取った資格ですので、今でも続いている本業になっています。

准看護師になってからも、様々な経験をし続けました。はるばる遠い県外の病院へ転職したり、経験したことのない部署に配属を希望したり、美容ナースにも挑戦しました。今は、派遣看護師として療養病院や老人施設など様々な仕事をしています。

それでも大人になるにつれて気付くのです。

「本当に私のしたい事って何?」
何をやっても、なんだか仮の人生を歩んでいる感覚があるんです。

准看護師をしながら、地方のフリーモデルも数年経験しました。
しかし、生活できるほどの収入が入るわけではないので続けることはできませんでした。

育児休暇中、ヨガインストラクターの資格も取得しました。(ヨガをしたこともないのに無謀にも資格取得から始めたので大変でした。)
育児休暇を長めにとっていた私は、すぐにでも収入が必要でした。
しかし、ヨガインストラクターとしての活動は、集客を含めすぐに収入になるものではありません。
スタジオで雇ってもらうお誘いもありましたが、生活ができるほどの金額はいただけないことがわかり、断念しました。

やはり、目先の収入のためには効率よく准看護師の資格を使うしかなかったのです。

そんな時、夫が転職することになりました。
私の場合は、これだ!と思えばすぐに行動することもあり、仕事探しもトントン拍子に決まります。
ですが、夫の転職ともなれば慎重です。
転職先の候補の中に、職務経歴書の内容を細かく要求する会社がありました。
わかりやすいようにと、箇条書きに寄せて書いて送ると、(その時なぜそう思ったのか詳しく書いてください)(その時、〇〇という考えは浮かばなかったのですか?その理由を教えてください)などの返答が大量に返って来ました。
まだ面接を行うかどうかも決まっていない段階でするレベルの話ではないなと、正直腹立たしくもありましたが、私の負けず嫌いが発動し、事細かに文章を書いて送りました。

その時に、思い出しました。
文章を書くことは、間違いなく私の好きな事だということを。

長い反抗期中には、真面目に勉強もしない子でしたが、現代文や小論文だけは何も考えずとも高得点を取っていました。

案外人間は、自分が当たり前にできる事には目がいかないものです。

 

自分の好きな事をやっと見つけた私は、ライターについて調べに調べました。
どうやらクラウドソーシングサイトたるもので出会いがあるということで、登録してすぐに見つけたのが書人百花のメンバーさんの募集でした。
書人百花の募集は他者からの評価も高く、とても人気な募集で競争率が高かったものの、合格のお返事を頂けたときは運命を感じました。

そこからSHSでメンバーの皆さんの丁寧なご対応に感動し、SNTまでお世話になり、修了することができました。

 

夢に向かう過程が一番楽しい

貴方の夢は、なんですか?

私の夢は、現在3歳の息子が小学生になるまでにライターの仕事を増やし、在宅で「おかえり」を言うことです。

小さな夢に聞こえるかもしれませんが、准看護師を本業にしているままでは叶わない夢です。

 

そんな小さな夢をかなえるための一歩。
一緒に踏み出してみませんか?

その小さな夢がかなった時、また次の小さな夢を……。

 

ワクワクしませんか?!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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