ケントです。
いつもありがとうございます。
僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。
しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。
なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。
嬉しいことに今はおよそ100名の仲間が集まってくれました。
一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。
僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。
ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。
ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。
また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。
そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。
ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、
生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。
何よりも自分の資産としては残りませんよね。
「書人」
自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人
僕は「書人」をこのように定義しています。
そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、
すなわち、
「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成
これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。
コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。
そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))
もし良かったら、読んでみてくださいね。
もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。
ケント
24時間働くテレビ業界の仕事バカから、
自分のペースで働けるライターの世界へ…。
それは50歳を過ぎてからのrestart(新たなスタート)でした。
こんにちは!
sho(しょう)です。
ケントさんからご紹介いただき、自分がここに至るまでのことを書かせていただく機会を得ました。
どうぞ宜しくお願い致します。
まずはこれからライターを目指すみなさまへ。
ようこそ!新しい世界へ!
どんなことでもいくつになっても、新しいことは不安ですよね。
冒頭に書きましたように、私なんてライティングを始めたのは50歳を過ぎてからです。
人生半世紀以上を生きてきて、いまさら新しいこと…。
不安じゃない方がおかしいですよね。
元の世界にいた方が安心だし。傷つかないし。こっちの世界ではもう偉いし(これ大切)。
それなのに、なぜ私が、わざわざまったくの未知の世界に足を踏み入れて、そして
「うわー!ライティングめっちゃ楽しい(*’▽’)」
なんてはっきりと言えるようになったのか。
少しだけ私のことを話させてください。
私の、滑って転んでまたコケて…のどたばた道中が、少しでもこれからのあなたのrestartのお役に立てれば幸いです。
女も手に職だ!
私は、本業はテレビ番組のスタッフですが、その中でも「タイムキーパー」という職種です。
タイムキーパー(略してTK)は、読んで字のごとく、時間の管理者です。
よくテレビで、出演者に「5~4~3~2~1!」とカウントダウンしている場面がありますよね?
カウントダウンしているのはフロアディレクターさんですが、
サブという場所で、その人にインカムで秒読みしているのが、私たちTKです。
かなり特殊な仕事で、99.9%は女性です。
(プチ情報。その昔、8時だよ!全員集合!のTKさんが男性でした!)
なぜこの仕事を選んだのか。
それはこのひとことにつきます。
「女も手に職だ!」
かなり古い話になりますが、小学校卒業式の2日前。
父が突然亡くなりました。
本当に突然。
父は事業を始めたばかりで、母は専業主婦でした。
結果、我が家に残ったのは、父の借金と、先の見えない毎日。
やっと事務職を得た母は、私と姉を懸命に育ててくれましたが、もちろん豊かな家庭ではありませんでした。
今でも忘れられない光景があります。
地元のお祭りに家族3人で行った時のこと。
200円くらいのノートを、欲しい!と言ってきかない姉に、母がものすごい剣幕で怒鳴りました。
「そのノートを買ったら、今日みんなでラーメンを食べて帰るお金が足り無くなるのよ!」
…姉は泣きながら母に謝り、母も泣きながら姉に謝っていました。
ひたすら働いてもお給料が上がらない母をずっと見てきて、心に決めたことがあります。
それがさきほどの
「女も手に職だ!」
です。
誰かに食べさせてもらえる、なんて幻想だ。そんな確約はどこにもない。
自分の食い扶持は自分で稼ごう。
でもどうやって?
豊かではない我が家では、大学進学は不可能でした。
高3の春、周りは当たり前のように大学受験準備をするなか、私は「手に職がつき」そして「儲かる」仕事をひたすらリサーチしました。
そこで知った仕事がタイムキーパーでした。
ほぼ女性のみの職種で、稼げる人は8桁越え!
その情報は私を虜にしました。(特に「8桁」が)
「これだ!」
テレビ業界になんて1ミリも興味なく、タイムキーパーがなんなのかもよく知らなかったのに。
あれ?稼げない?テレビ現場の真実
ひたすらアルバイトをして、さらに奨学生の試験に合格し、某放送芸術系専門学校に入学しました。
ここでの出来事は暗黒すぎるので省略します(笑)。
暗黒でしたので、いざ就職!となっても、求人は全然なく。
あの勢いはどこへやら…と、お先真っ暗だった時に、たまたま新聞広告で見つけた制作会社の試験を受けて、難関突破(たぶん)して合格!!
しかも当時では珍しい、タイムキーパー専門職としての採用でした。
「私、超ラッキーじゃない?(*’▽’)」
20歳の世間知らずの私は浮足立っていましたが…
もちろん現実はそんなに甘くありません。
当時は、先輩TKに弟子入りして、見習いから独り立ちするのが一般的でしたが、私は社員TKだったので、AD業務も兼ねていました。
ADであるということは、よろず雑用係です。
帰れません。眠れません。
24時間365日、いつでも仕事があれば永久に。
体のことよりも辛かったのは「努力が認められない」という事実でした。
私はかなり真面目だったので(当社比)、誰よりも努力をしました。
朝も誰よりも早く出社し、誰よりも遅くまで働きました。
でも。
そんなことは評価されないんです。
評価されるのは結果。
過程はどうでもいい。
つまり要領のいい同期ばかりが評価され、私の地面を這いつくばるような地味な努力は何の評価も受けませんでした。
そこに追い打ちをかけたのは学歴です。
周りは輝かしい4大卒。かたや私は専門学校卒。
入社した時から、給料は大きく開いていました。
「おかしい。全然稼げないじゃん…」
その差は縮まるどころか開いていく一方でした。
↑貧乏草(ハルジオン)
入社2年目のボーナスが、ぼんくらな(失礼)同期と10万円以上差があることがわかった時、決意しました。
「とっとと辞めてフリーランスになろう」
そこから、あらゆる伝手をたどってあらゆる現場に潜り込み、めちゃくちゃ勉強して人間関係も広げまくりました。
会社の仕事がない時にこっそりやっていたので、プライベートの時間はゼロです。
付き合っていた彼氏には振られ、友達もたくさんいなくなりましたが、気にしている余裕はありませんでした。
これでもう大丈夫。
やっとそう思えたのは入社3年目でした。
「私、会社を辞めてフリーランスになります」
引き止められることを想定して、大緊張してそう宣言した私を、意外にも会社は「あ、そう」とあっさり認めてくれて、軽くズッコケましたが、
何はともあれ、新しい人生の幕開けです。
23歳の夏のことでした。
社員時代にこっそり広げた人間関係のおかげで、仕事もばんばん来ました。
収入はみるみる増えて、夢の8桁越えは、割とすぐに実現しました。
その分、誰よりも努力したと自負していますが。
私が結婚?出産?予想外のハードル
タイムキーパーをやりつつ、ディレクター的な仕事もやるようになり、本当に仕事が楽しくて、毎日充実していました。
そんな「仕事命」の私が、30歳を過ぎてから、思いがけず結婚することになりました。
夫は芸人なのですが、話すと長いのでこのへんも割愛します(笑)
さらに、すぐに子どもを授かりました。
母に「子どもが出来たんだ」と電話で報告したら「へー、誰に?」と聞かれたくらい、私も周りも想定外の出来事でした。
とりあえずめでたい!と夫も親族も大喜びでしたが、私には大きな不安がありました。
「産休とれるの?」
やはりというかなんというか、この仕事は独身が圧倒的に多く、当時、周りで産休をとったなんて聞いたことありません。
(今は家庭と両立させている方もたくさんいます!)
どうする?どうしよう?
たくさんの仕事仲間が協力してくれて、なんとか代わってくれる人がみつかったのは妊娠8カ月の時でした。
(仲間に感謝)
しかし。
喜びもつかの間。次の不安が私に押し寄せます。
「保育園、入れるの?」
まさに「保活」という言葉が一般的になってきた頃でした。
正社員でも入れないことがあるという中、我が家はテレビ業界人と芸人というよくわからない夫婦。
無理じゃね??
私は臨月のお腹を抱えて、ストップウォッチを持って地域の保育園を歩き回り(こんな時にタイムキーパーが役に立ちました)、通園時間や方法をひたすらリサーチ。
あらゆる戦略の結果、無事に入園出来ました。ほっ。
ちなみにパソコンのいろはを学んだのは、この保活の時代でした。
そして様々な不安の中、新米ワーキングママ生活が始まったわけですが…
「子育て最高!!(*’▽’)」
仕事は前ほどバリバリ出来ないし、違う意味で毎日寝不足ですが、世の中にこんなに楽しいことがあるの?というくらい、本当に充実していました。
たくさんのママ友も出来て、人生が一気に広がりました。
お母さんが元気なら
お母さんが笑顔なら
家庭は絶対大丈夫。
それから今に至るまでずっと、
「私は働く母ちゃんの味方です」
(※もちろん専業主婦だって、家族のために働く立派な母ちゃんです!)
(※そしてもちろん、結婚の有無や子どもがいるとかいないとか関係なく、頑張って生きていらっしゃる女性はみんな尊敬しています!)
テレビの仕事の限界とライティングとの出会い
テレビの仕事はもちろん楽しいのですが、いつまでも出来るほど生やさしい仕事ではないことは、自分が一番よくわかっていました。
何かもうひとつ自分の柱が欲しい…。
自分探しをするようにいろいろなものにチェレンジして、その中で3つの資格を取りました。
- メイクインストラクター
- 青少年ケアストレスカウンセラー
- 米国NLPマスタープラクティショナー
しかし。取ったはいいけれど、役立てる場面が見つかりません。
自分でメイク講座を企画してみましたが、申込ゼロ。
カウンセラーだって、いったいぜんたい、どこで誰にやるの??
「そうだ。ネットで集客しよう」
そんな当たり前のことに気付くまで1年以上かかりました。
そこでたどり着いたのが「ライティング」でした。
(お待たせしました。ここまで長かったですね)
ネットで集客してサービスを提供するには、まずはライティング能力だ!
(ここでめちゃくちゃ高い集客講座に通ってしまったのですが、悲しすぎるので割愛します)
「手に職」がモットーの私は資格が大好きなので、その後とりあえず、「WEBライティング実務士」という試験を受けることにしました。
その模擬試験で初めて、文字数を指定された長文を書くことを経験したのですが。
あれ…なんか…
「ライティングめちゃくちゃ楽しい!(*’▽’)」
そういえば、今までに何百枚も文章を書いてきました。
企画書も、ナレーション原稿も、役所への保育改善要望書も、PTAのお知らせも。
「私は書くことが好きだったんだ」
そんなことに気付いたのは、50歳をとっくに過ぎた頃でした。
厳しい現実とケントさんとの出会いと
WEBライティング実務士の資格を取った時に紹介されて、そのまますぐにランサーズに登録しました。
しましたが…
したのはいいのですが…
何をどうしていいかさっぱりわかりません。
フリーランス歴が長いので責任感は人一倍ありますが、逆にそれがブレーキになってなかなか仕事に手が出せないでいました。
とりあえずなんか書いてみよう!とやった初仕事は、たしか100円くらいの体験記でした。
その後も安い単価のものをいくつか経験してみましたが、「ライティング感」は皆無です。
「私、何をやっているんだろう…」
たぶん、ランサーズに登録してから約3か月で得た収入は500円くらいです。
そもそも資格を取ったからと言っても、タスク的な仕事をこなしているだけで、自分でもこれでまともなライティングなんて出来る自信はありません。
募集要項によくある「Wordpress」て何?
そういうレベルでしたから。
これでまた、今回も資格を取っただけで埋もれちゃうのかなあ…と思っていたある年のお正月。
何気なく見ていたランサーズで、主婦・初心者歓迎!の募集記事を見ました。
「これからライティングを学びたい方に最適な仕事!」
その詳細にはこう書かれていました。
「このお仕事では、何より楽しんでもらうことを目標にしています!」
おおおっ
「これだ!これやりたい!」
それがケントさんの募集記事でした。
新しいライティングの未来
ケントさんのサイトにお招きいただいて、最初にびっくりしたのは、私がチャットで、はじめましてのご挨拶をした時に、
ぶわーーーーっとすごい数のみなさまが
「はじめまして!よろしくね!」
「一緒に頑張りましょう!」
「なんでも相談してね!」
と返信をくれたことです。
今まで、正解がよくわからないまま孤独にPCに向かっていた私に、
画面の向こうからみなさまが手を振ってくれているような、そんな暖かい気持ちでいっぱいになりました。
「なにこれ?マジ嬉しい!」
そこからは夢中で、暇さえあればPCに向かう毎日が始まりました。
Twitterってこうやって埋め込むんだ!
これってアイキャッチというんだ!
こういう言い回しが心に残るんだ!
ライティングの基本中の基本を、ひとつひとつ実践の中で取得していくことが出来て、さらに先輩が添削してくれる。
なんてありがたいことでしょう!
もちろん、楽しいことばかりではありませんでした。
普通に今まで通りタイムキーパーの仕事をやっていましたから、そうそう時間を取れるわけではありません。
どうしても間に合わず、休憩時間にトイレでこっそりキーボード叩いていたこともあります。
テレビスタジオにはWi-Fi環境がなくて、気絶しそうな通信料になったこともあります。
私一人逃げても、誰も困らないよね?
次に1記事完成したら抜けさせてもらおう…
そんな思いにとらわれていたこともあります。
そんな負のオーラの時に助けてくれたのは、もちろんケントさんであり、共に切磋琢磨するチームの仲間たちでした。
ちょっと泣き言を書き込むとすぐに
「そんな時もあるよね。無理だけはしないでね」
「楽しくやろうよ!」
「しょうさん、疲れてませんか?」
とこれまたすぐに励ましの返信をくれました。
「うっ泣いてまうやろ…(T_T)」
気付けば、テレビスタジオにいるよりも、自宅でパソコンに向かっている時間の方がずっと長くなっていました。
もともとは、集客する方法を学びたくて始めたライティング。
今は、言葉の持つ力と可能性に夢中です。
心理学では、コミュニケーションについてたくさんの勉強をしてきました。
人に思いを伝えるのは簡単なことではありません。
だからこそ。
一文字一文字に真心と誠意を込めて。
本当のことが正しく伝わるように。
私たちの紡ぐひとことが、
もしかしたら、ネットの向こう側で読んでくれる人の人生を変えることが出来るかもしれない。
その思いで、液晶画面の向こうの「あなた」に向けて、私の文章をお届けしています。
挑戦は、何歳からでもどんな状況からでも出来ます。
ひとつのパソコンと、ちょっと前に進む勇気。
必要なのはそれだけです。
あとはきっと、たくさんの仲間たちが、あなたの未来を豊かに彩ってくれることでしょう。
もし、ほんのちょっとでもライティングにご興味があったら、あなたもrestartしてみませんか?
すっかり長くなりました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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