【書人asami】何の取り柄のない子育て中の主婦ライターが挑戦している今

ケントです。

いつもありがとうございます。

僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。

しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。

なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。

嬉しいことに今はおよそ100名の仲間が集まってくれました。

一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。

僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。

ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。

ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。

また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。

そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。

ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、

生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。

何よりも自分の資産としては残りませんよね。

「書人」

自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人

僕は「書人」をこのように定義しています。

そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、

すなわち、

「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成

これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。

コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。

そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))

もし良かったら、読んでみてくださいね。

もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。

ケント

 

 

はじめまして。asamiと申します。

いきなりですが、私は基本ネガティブ人間です。

【自分には何もないダメな人間だ】と思っています。

現在、私は6歳と4歳の男の子2人を育てる母でもあります。

そんな私がなぜWEBのライターという仕事を始めようと思ったのか。

同じような悩みを抱えている方々の何かお役に立てればという思いで書かせていただきました。

ネガティブな人間が書いているので、やはり内容もネガティブが出ているかもしれません(笑)

ライティングの仕事の在り方についてもお話ができたらと思います。

悩んでたら一人で抱え込まず、私のような人も頑張っているのかと励みになったら嬉しいです。

一緒に未来への一歩を踏み出してみませんか?

 

私という人間

今回、この書人からの手紙を書く時に思ったことがあります。

自分の事は調べなくても良いのですぐ書けるだろう

いざ書いてみるとなかなかまとまらなくて大変でした。

自分を語る時に、人に語れるようなことや自慢できるようなことがあまりありませんでした。

他の方の書人からの手紙を読むと、みなさんキラキラと、イキイキとされています。

読めば読むほど他の人とは違う読んだ人のメリットになる内容が書けるか悩みました。

書いては消して、書いては消してをして私なりに頑張ってまとめました。

まずは私についてお話しさせていただきます。

 

悩んで苦しんだ就職活動の数々

私は団地育ちです。

3DKの市営団地にしては広めの間取りでしたが、母がよく言う言葉がありました。

「もう少し使い勝手が良かったら良いのに」

その言葉を聞いて、子供の頃からこうしたら良いかな?とよく考えていました。

私の通う小学校には、校庭に沢山の種類の工具や廃材が置かれた珍しい自主工作室がありました。

そこに行っては、これを作ったら母が喜ぶかなと思いながら作っていたのを覚えています。

それがきっかけで、インテリアデザイン科の専門学校に通いリフォームに興味を持ちました。

しかし、私が最初に就職したのはイベント会社でした(笑)

その仕事の1つで住宅展示場のバルーン装飾の仕事がありました。

そこでやはり住宅に関わる仕事がしたいと思い、小さな工務店に転職をしました。

が、リーマンショックで入ってすぐに仕事が激減して社員全員解雇となりまた転職することに…。

自分のこだわりでアットホームな地域に密着した小さな会社を希望して就職先を決めました。

今度こそは!と思っていたのに、その会社も仕事が減って事務所の移転が決定。

私と同期で入った人や先輩もリストラが決まり、どんどん社員がいなくなりました。

その後は給料が下がることと交通費の一部自己負担が発生することに。

社長は、景気が回復したらこの借りは返すからどうか辞めないでほしいと言ってくれました。

しかし、それはいつになるのか…?本当に返ってくるのか…?こちらも生活が掛かっています。

続けたくても現実は厳しいと判断してまたも退職をすることを決めました。

ここまで大したキャリアも築けないまま職を転々としています。

また辞めることになるのではないか、私は運がないんだと思い就職活動も進まなくなりました。

その時に、世の中の会社ってどんなところがあるのかと違う興味を持ち始めます。

しかし、リフォームの仕事がしたい気持ちは変わらないので仕事として興味はありませんでした。

つまり長く働く気持ちはないが、違う業界の仕事をしてみようと思ったのです。

契約期間のある派遣という働き方をすることを決意します。

全国・海外に支社を持つ大手人材紹介会社の本社へ転職を決めました。

3か月更新なので、すぐ辞めれば良いなんて今思えば酷い考えで入社します。

しかし、今まで中小企業でしか働いたことのない私はここでの働き方に感銘を受けます。

こんな世界があったのか!これはこれで仕事がとても楽しい!

更新をせず3か月で辞めようと思っていたのに、気付けば4年勤めました。

営業アシスタントの仕事で、担当営業とMVPを何度も受賞しました。

大きなプロジェクトにも参加させていただき、ここでの仕事は初めて自分に自信が持てた場でした。

4年経った時に会社の分社化が決定し、私のいた部署はなくなることになりました。

その時、ここでの新しい環境でまだ頑張るか、それとも外に出てまたリフォームの仕事を探すか。

それと同時に付き合って7年、結婚して1年経ったのでそろそろ子供をと夫婦で話していました。

悩んだ結果、仕事から離れて子育てと向き合うことを決め専業主婦になることに決めました。

 

自分という人間

私という人間を語る時に欠かせないものは家族かなと思います。

特に今の私を作り上げた私の母のことをお話ししたいと思います。

私は優しい父、とても厳しい母、働きマンな母方の祖母に育てられた一人っ子育ちです。

父は兄1人、姉2人の4人兄弟の末っ子育ちで、ちょっと頼りないけど穏やかなとても優しい人です。

父と真逆の性格の母はとにかく厳しく、私と同じ一人っ子育ちです。

母は小学1年生の頃に祖父が癌で他界したので、母は祖母と母子家庭でした。

その為、働きに出ていた祖母を助けるように母も苦労をしました。

自分のことは自分でやるのが当たり前、人に頼らず自分で出来るのが当たり前。

そういった環境で育った母は、私を育てるときも同じ教えをしてきました。

ある程度の年齢になると何かお願いしても自分でどうにかしなさいと言われるように。

その反面、父は優しく何でも応えてくれたので甘えたいことがあれば父にお願いしていました。

それが見つかると、甘えるな!甘やかすな!と親子揃って怒られることも(笑)

祖母は共働きの両親に代わって、体調を崩すまでは母に代わって家事をこなしていました。

元気だった祖母に異変が起きたのは私が中学生だった頃です。

突然脳梗塞を発症し、それから痴呆になって7年間自宅で寝たきり生活となりました。

施設を一切頼らず祖母への恩返しと、仕事を辞めて1人で介護をすることを決めたのです。

その7年間、母は父と私に多少の協力は求めたものの付きっきりの介護が始まりました。

その時ももう少し早く周りを頼れば良かったのに、抱え込みすぎで介護ノイローゼに…。

役所に相談をして祖母の介護認定を受けると、最も重度の要介護5の認定でした。

要介護5とは、1人で日常生活を送ることができず、意思の疎通も困難な状態を表します。

すぐに施設へ移しますと手続きをしてくれて、その後10年間施設で過ごしました。

大人になって母から褒めらたことを思い出そうと思っても、多くは叱られた記憶ばかり。

結果的に「どうせ私はダメだから…」と自信が持てないネガティブな大人に成長しました。

子供の頃に母が喜ぶかなと思ってしていたDIYは、褒められたい気持ちがあったからだと思います。

しかし、母は褒めてくれることもありましたがさっぱりした人。

本当に喜んでいるのかな、私の事好きなのかなと思う事がよくありました。

そんなことを思って育った私は、何か褒められても素直に受け取れません。

どうせお世辞だろう、私より出来る人は沢山いると思ってしまうひねくれ具合…。

何か壁にぶつかった時も周りに相談したり、頼ることが上手くできない性格になりました。

いつも1人で抱え込み、苦しみ、諦めるということを何度か繰り返してきたなと思います。

あの時誰かに相談していたらもう少し違う選択肢があったかなと思うことは数多くあります。

主人は親や周りを上手く頼って生きてきた人なので、基本主人は私に頼りっぱなし。

子供たちもお母さんは何でもできるスーパーマンだねとよく言っています(笑)

そんな母のおかげで子供の頃からしっかりしていると褒めてもらえる事は多かったように思います。

仕事でもその点を評価して貰えることもありました。

家を出てから家事ができないと困った事もあまりありません。

また、自分が悩んで苦しむことが多かったので、困っている人を見ると声を掛けずにいられません。

同じように相手が1人で悩んだり苦しんでいないかなと気なって仕方ないのです。

お節介焼きの私は年齢性別に隔てなく声を掛けるので、そのおかげで沢山の友人ができました。

私の宝は家族友達です。

優しい父と厳しい母の元で、私は今日までそれなりに幸せな人生を送ってくることができました。

子どもたちには人の気持ちを考えられる優しい人になってほしいと思います。

しかし、自分のようにはなってほしくないと思っています。

母のような否定的な子育てはしたくないので叱る時は叱り、褒める時は褒めるを意識しています。

それでも逞しい母は、子育ての先輩としてとても尊敬する女性です。

 

ケントさんと出会う

私は子供たちが幼稚園に行っている時間にフリーランスで知人の仕事を2つ手伝っています。

昨年から幼稚園が終わった後は、週3~4のサッカーと週1のスイミングスクールに通っています。

サッカーはスペインや世界を代表するFCバルセロナ(愛称:バルサ)のアカデミーです。

習い事ではありますが、今からプロを目指して本気の習い事です。

車で片道40分程の距離を送り迎えし、雨でも実施されるので休むことはあまりありません。

悪天候で中止になった場合は振り返るので、実施数はマイナスにならないのです。

習い事から帰宅した後も、主人の帰宅が早ければ2人で19時半頃までトレーニングに行きます。

小学校に上がるとセレクションを受けてクラス分け、またはクビ宣告が出されます。

上のクラスに入れれば、今後は合宿や海外遠征へ行くようになります。

つまり、お金が掛かるんです…!!!

本当に夢が叶えば状況によっては、国内外問わず引っ越しをする可能性もあります。

(持ち家、ローン返済中ですが…笑)

まだ6歳でしょ?と言われる馬鹿げた夢かもしれません。

それでも私は自分の子供たちにどうせ…という思いを持って欲しくありません。

私は続けたかったこと、やれるようになりたかったことをどうせ…といくつも諦めてきました。

5歳で好きなこと・やりたいことを見つけて一生懸命努力をしている息子を誇りに思います。

なので私は無理と思わず、彼の夢を応援したいのです。

そして、いざ引っ越すとなった時にどこでも働ける働き方をしようと働き方について考えました。

何もない自分でもできることはないかと考えた時に、唯一好きなことは章を書くことでした。

子供の頃から作文や日記を書くのが大好きで、大人になった今も文章を書くのは好きです。

子供たちが生まれてから今日まで毎日欠かさず日記を書き続けています。

その好きを活かせるお仕事を探したときに出会ったのがケントさんでした。

 

書人からの手紙を書くことになったきっかけ

今回ケントさんから書人からの手紙を書いてみませんか?と言われた時、私が?という思いでした。

実はこの時、ライティングのお仕事以外を辞めてこのお仕事に集中するかとても悩んでいました。

本業を辞めるということは主な収入が0になるので、それはとても勇気のいることです。

それまでの生活で見つけた隙間時間を、ライティングのお仕事にと応募したのは1月の半ば頃でした。

子供たちの為なら頑張れる!

その気持ちだけで突き進みましたが、応募した翌日からいくつもの障壁が立ちはだかりました。

40度を超える高熱が3日続き、治ったと思ったらその後の1ヵ月間は家族で移し合いです。

その後も咳喘息発症、自宅のPC不良、祖父の他界と思ってもいなかった事が次から次へと…。

実は私、今年本厄なんですよね…。それが原因ではないと思いますが(笑)

でもこれだけ色々大変な思いをすると何かのせいにしないと怖いくらいです。

そして極めつけは、コロナウイルスです。

3月から5月末まで幼稚園も習い事も全てストップしました。

自分の時間が作れる!ライティングの仕事が進む!と甘く考えていました。

主人は仕事上コロナの影響で逆に忙しくなり、休日出勤も増えてワンオペ育児状態になりました。

24時間離れることなく子供たちと過ごしていた為に、次男が赤ちゃん返りをして私にべったり…。

何をするにもお母さん!お母さん!お母さん!お母さん!

甘える次男に、ずるい!と長男も甘えてきます…。

寝かしつけやお風呂を主人に頼んでも、お母さんが良いーーー!とギャン泣きされました。

子供たちもストレスが溜まっていたのか兄弟喧嘩が増え、その仲裁でぐったりすることも。

次男はまさかの夜泣きまでするようになりました。

こっそり布団を出てPCを開くも、開いて数分で起きてくるので強制終了。

これが本当に毎日のように続きました…。自分1人の時間はどこへ…。

午前中は2人を連れて職場に行き、午後は幼稚園から出された大量の宿題の相手が待っていました。

子連れ出勤は仕事を邪魔されなかなか進まない為に、仕事を持ち帰ることも増えました。

宿題は、学校と違ってレベルは低いものの量が小学生並みです。

鍵盤ハーモニカ楽譜3枚、工作、絵日記、ひらがな練習、絵本2冊・言葉と作法の本を読む。

家のお手伝い、課題曲を1日1回歌う、1日1回散歩、折り紙、体操と1人でできないものばかりです。

現代ならではの幼稚園のzoomクラス会、インスタライブによる朝礼、担任の先生とのライン面談。

全ての時間が指定されていてそれが2人分…。

バルサもzoom面談と動画トレーニングが取り入れられ目が回る忙しさ。

朝昼晩と食事を作り、隙間時間に家事を片付けると気づけば夜という日々でした。

ステイホームを楽しもう!とテレビで言っているのを何度か耳にしました。

楽しもう!?いつ楽しむんだ!!!!楽しむ余裕は全くない!!!

その状態でライティングの仕事は全然はかどりません。

提出がなかなかできず、ケントさんとリーダーからお叱りの言葉もいただきました。

当然です。普通ならクビです。社会人として失格です。

今までならやっぱり私はダメだから、どうせ私には無理だったと諦めて辞退していたと思います。

しかし、この仕事をできるようになりたい!達成したい!という気持ちがどうしても消えません。

そこで限界を感じた私は、悩んでいることを勇気を出して相談してみました。

すると、ケントさんの答えは意外なことにこの書人からの手紙を書くことでした。

今思っていることをここに書いてみませんか?と。

私が書く内容に誰が興味を示すだろうか…。

私の話しは暗い話になってしまわないかと不安なことばかり考えました。

自分のことを話すというのは私にはとても勇気のいることでしたし、断ろうかとも思いました。

しかし、ケントさんと話しているうちに逃げることはいつでもできる(笑)

だから出来るところまで頑張ってみて自分を変えてみたいと思い書くことを決めました。

 

私の課題

自粛生活が明けたら何か変わると思っていましたが、明けてすぐはあまり変わりませんでした。

というのは、自粛中に溜まった仕事を片付けることに追われる日々だったからです。

そして、習い事も復活し自粛前の振り替えの消化で日々過ぎていきます。

1か月経ってようやく溜まっていたものが片付き少しづつ落ち着き始めました。

しかし、結局(案の定?)ライティングは満足にいく結果を残せていません。

ここでチームというものに救われたと言っている方が沢山います。

一方、私はチームにいることに甘えてしまった人間です。

こんな事を書く人はいないかもしれませんが、私だから敢えて書きます。

ここは毎日顔を合わせることがない職場です。

逃げようと思えばいつでも逃げることができる職場です。

そして、会わないとうことは自分で繋がりを作らないと誰とも繋がれない職場です。

最初の頃は、記事の提出もできないのに発信していた方への返信だけはしていました。

人と繋がることでモチベーションを上げたかったからです。

しかし、提出できない罪悪感からコミュニケーションの場から離れてしまいました。

読んでは閉じるの日々を繰り返し何も発信しなくなりました。

記事を提出しても読んでくれる方はあまりいないしとまた弱い自分が出てきちゃうんですよね。

他の方の記事を読むと勉強になることも数多くあります。

書人からの手紙を読むと私とは全然違うなと落ち込んだり、逆に私と同じだ!と共感してみたり。

ただ、いつも変わらないのは読み終えると毎回プラスの気持ちが沸きます。

ここで辞めたら何も変わらない!自分を変えたい!

そのすぐにでも切れてしまいそうな気持をいつも繋ぎとめてくれるのはここでの仲間です。

(私が仲間とか言って申し訳ないですが・・・)

書き終えると何とも言えないうれしい気持ちになるんですよね。

読んだ感想を送ってくださる方もいます。

添削して的確なアドバイスをくださる素敵な先輩もいます。

しかし、今の私のここでの存在はと聞かれたら・・・

ライティングの仕事での今の自分を評価してくれる人は当たり前ですが誰もいないでしょう。

認めて貰えるようになりたい!

仲間になりたい!

それを適えるには、課題を課して実績を出すしかありません。

日中の仕事が落ち着いてきたので、今の自分に課題を出すことにしました。

記事を週1必ず提出する

発信されている方へ返信をする

記事を提出できなかったら辞退する

この3つを課題にこれから取り組もうと思っています。

ライティングの仕事は好きだけではなく、スケジュール管理ができて初めて成り立ちます。

色んな方のお話しを読んでも、つまずく時は必ず存在するように思います。

それを乗り越え、自分のものにできたら今回のコロナにも関係なくどこでも楽しく仕事ができます。

もう一度言いますが、ここには素敵な仲間がいます。

待っていても誰も繋がってはくれませんが、発信したら繋がってくれます。

ネガティブな私も少しずつ仲間を頼ってこの仕事を諦めずに自分のものにしたいと思っています。

 

なりたい自分を想像する

WEBライターという仕事をするには、私は思いがあればできるかなと思います。

もちろん、やりたい・好きだけではできませんし、それなりに知識やセンスも必要だと思います。

しかし、始めるきっかけとしては思いがあればはじめられると思うのです。

 

はじめるきっかけ

私のように子育てを優先しながらも在宅でできる仕事がしたい

夫や妻が転勤が多いので、どこでもできる仕事がしたい

コロナの影響で副業としてライティングの仕事をしたい

文章を書くのが好きだから好きを仕事にしたい

言葉で誰かの心を動かしたい

 

はじめるきっかけはどんな思いでも良いと思うのです。色んな思いを持って始める人が沢山います。

その思いを将来どうしたいのか想像すれば、続けることができる可能性の広がる仕事だと思います。

一人だと挫折してしまいがちですが、ここには頼れる仲間がいます。

私もまだ修行中のピヨピヨライターです。(ライターなんて言えないレベル)

自分にはできないと悩んでいたら、誰かに相談してみましょう。

聞いてくれる人が沢山いるこんな素敵な場所は他にないです。

ここは良くするも悪くするも自分で変えられる場所です。

実は、ここ最近自宅用ではなく自分専用のPCを購入しました。

私は少し前まで諦める可能性があるなという気持ちがあったので、自宅用のPCを使っていました。

色々事情があり、メインのPCでは画像加工ができずやる事によってPCを使いわける状態でした。

主人が自宅でPCを使う時間も増えてしまったのもきっかけの1つですが…。

自分のモチベーションを上げるためにも思い切ってやったことがあります。

自分専用のPCを購入!!!

これからは好きな時に使えるし、このPCで私はライターとして成長する!

そんな小さなことでも楽しい未来を想像したら、明るい未来になるかもしれません。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

私の記事を読んで明るい未来を想像してもらえたら嬉しいです。

 

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