ケントです。
いつもありがとうございます。
僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。
しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。
なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。
嬉しいことに今はおよそ100名の仲間が集まってくれました。
一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。
僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。
ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。
ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。
また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。
そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。
ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、
生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。
何よりも自分の資産としては残りませんよね。
「書人」
自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人
僕は「書人」をこのように定義しています。
そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、
すなわち、
「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成
これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。
コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。
そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))
もし良かったら、読んでみてくださいね。
もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。
ケント
はじめまして。
戸田可不可(とだ・かふか)と申します。
ケントさんのもとでライターの勉強をし始めて4ヶ月になろうとしています。
今回、「書人からの手紙」で自分のことをお話する機会をいただきました。
ライターというお仕事に携わり始めてから、自分にどんな良い影響があったのかというお話をしたいと思います。
私は昨年の12月に娘を出産し、それからは家事と育児に追われてバタバタと毎日を過ごす専業主婦です。
前職は、近くの循環器内科系クリニックに勤める看護師でした。
(一応保健師の資格も持っていますが、勉強はサッパリでした・・・)
親や親戚、看護師ではない友人から
「看護師はいいよね。給料いいし、辞めてもすぐに転職先が見つかるし、どこに行っても働けるから」
とよく言われます。
自分でもその通りだと思いますし、娘がもう少し大きくなって幼稚園などに預けられるようになれば復職するんだろうなとボンヤリ考えてもいました。
でも、実は・・・看護師になりたくてなったわけではないんです。
ぶっちゃけ、「看護師にだけは絶対なりたくない!」と思っていました。
(実際高校生くらいまでは周りにもそう言っていました。)
贅沢だと言われるかもしれませんが、看護師として働いている自分にはちっとも魅力を感じていませんでした。
周りからの「看護師はいいよね」というプレッシャーと、自分の中の「やりたくないけど復職しなくちゃ」というモヤモヤにはさまれ、「本当にこのまま復職してもいいのか」という気持ちだけが大きくなっていきました。
ライターを意識し始めたキッカケ
そもそも私はなぜ看護師になりたくなかったのか、なりたくなかったのに何故なったのか。
私の伯母が看護師なのですが、めちゃくちゃ性格がキツくて、口調も厳しいんです。
伯母はそれなりの立場の人で、私は「就職したら、たぶんこういうお局様みたいなのにいじめられるんだ。そしたらきっと自分もこんな性格になってしまうんだろう」と半ば本当に信じていました。
そのくせ、母親の「今の時代、やっぱ看護師でしょ。安定しているし、病院はそんな簡単に潰れないよ」という口車に乗せられ、気づけば看護学科のある地元の大学に進学していたのです。
なりたくないのに流されるまま看護師になり、やりたくないのに看護師の仕事をし、その上でまだ「数年後にはどこかのクリニックに復職かな」と考えている・・・
そうモヤモヤと考えている時、出産のため入院していたクリニックの看護師さんが、私にこう言ったのです。
「何年かしたら、また看護師するの?でも、たまには別の仕事もしてみたいよね」
それだ!!!
ライターで頑張ろうと思ったキッカケ
妊娠8ヶ月頃に前の職場を辞めたのですが、その頃にランサーズに登録しました。
当時はそこまで力を入れていたわけではなく、産後の足掛かりとして・・・などと軽く考えていました。
そもそも私は読書をしたり、何かを書いたりというのが苦ではなく、興味のあることには時間を忘れて没頭しやすいという性格です。
なので、今までランサーズでちょろちょろとやってみた「〇〇についての紹介」「〇〇についてのレポート」なども楽しんで取り組めました。
「このまま楽しく気ままにライターとかできたらいいな。
在宅の仕事なら、家のこともできるし、娘といっぱいいれるし」
という甘い妄想は、すぐに打ち砕かれることになりました。
そう、コロナです。
私の旦那も看護師で、近くの総合病院の病棟に勤めています。
コロナの疑いがある人やコロナの患者と直接関わるような科ではありません。
しかし、発熱や肺炎疑いのあるまま転院してくる人、PCR検査の結果はまだ出ていないが救急から病棟へ上がってくる人などがいるので、リスクは一般人よりもあると思います。
そして、ある日。
「今日の準夜帯で、コロナ疑いの人が上がってくるかも。
たぶん僕が担当することになると思う」
と言われました。
「・・・は!?どういうこと!?」
(この時点ですでに、私の頭の中ではそのコロナ疑いの人はコロナ陽性になっていました。笑)
当時は病院でもマスクが品薄で、防護服なども全て救急や感染症患者が入院する科などへ優先して届けられていたため、他の科では品薄が解消されていませんでした。
先の言葉を旦那から告げられた時、私は一瞬で様々なことを考えました。
もし感染したらどうする?
労災はどうなっている?
入院費は?生命保険は?
もし旦那が死んだらどうする?
お金は?
生活は?
娘は?
私はまた、看護師として働かなくちゃいけないのか
コロナや、コロナの感染対策をしない人に私のささやかな夢をぶち壊れてたまるか!
もう看護師として働きたくないのに!
そうだ!ライターだ!
ケントさんとの出会い
結局コロナ疑いの人は陰性だったのですが、これからもこういうことはあるだろうと簡単に予想できました。
もう「気ままに」なんて言ってられない!どうにかしないと!
と焦っている時に、ケントさんの募集を見つけました。
その募集を見て、「ここでならライターとして成長できるかもしれない」と感じました。
ですが、募集の謳い文句を読んで、
妙に優しくない?
甘い言葉ばかりで、本当は裏があるんじゃないの?
メッセージの紹介も、ヤラセじゃないの?
・・・と思ってしまいました。
(今ではとても反省していますし、飛び込んで良かったと心底感謝しています。)
でも、このままウジウジしていても変わらない!
「ロックフェスやライブに行くのが好き」という趣味を引っ提げ、ケントさんに「よろしくお願いします」とメールを送ったのでした。
“自分ルール”でスケジュール管理
色々なマニュアルを渡され、見様見真似で記事を書き、優しく添削してもらい、修正して再提出。
それだけのことに右往左往し、丁寧に説明してもらっても「知らない単語がいっぱいある・・・」と唖然としたり。
もっと時間をかけて没頭したいのに、そういう時に限って娘は寝てくれない。
後追いが始まったせいか、私がパソコンを触っていると、その周りで遊び、パソコンのコードやバッテリーを口に入れることも。
旦那の勤務は3交代(日勤・準夜・深夜)なので、朝と夜に弁当を作ったり、夕方に弁当を作ったり。
仮眠をとらないといけない時もあるので、その間は静かにしてもらうため娘を頑張って寝かしつけたり。
家事と育児の両立どころか追われてバタバタしているのに、そこへライティングも!なんて、自分は随分向こう見ずだったなとちょっぴり後悔みたいなものをしたこともあります。
それでも、自分なりに調べ、解釈し、またそれを伝えるための言葉を慎重に選んで・・・。
分からないものをリサーチしていて分かった瞬間や、白紙のページが文字で埋まって完成した瞬間など、ひとつひとつに小さな喜びを感じていました。
家事と育児とライティング、「できるわけない」じゃなくて、「できるようにする」!
ご飯は早めに作るか下ごしらえをしておく、副菜などは作り置きをする、翌日の弁当のおかずは前日の晩に作っておく、ライティングは1時間やったらとりあえず切り上げる、などなど・・・“自分ルール”を作りました。
当たり前のことですが、在宅ワークは自己管理が重要になってきます。
何と折り合いをつけるか、どこまで何を譲るか、改めて私自身や家族と向き合うことになりました。
うつ病の過去を糧に
少し昔の話になりますが、大学3年生の頃、私はうつ病と診断されました。
元々見栄っ張りな性格で、人に頼ることができず、裏では1人でウジウジ・・・。
卒業後は大学病院に就職するも、3ヶ月で休職。復職しても、また休職。
うつ病がひどくなってしまったのです。
教育熱心な先輩に指導され、「やれます」「大丈夫です」「頑張ります」と背伸びをしまくった結果、心身ともに壊してしまいました。
(それだけでなく、大学病院という現場の特殊性もあったと思います。
特に、私がいたのは脳神経外科だったので、毎日生きるか死ぬかでピリピリしていました。)
そして、2年目の夏に退職。
あの頃のことは思い出したくもないと思っていましたが、その苦い記憶が今役立っています。
それは、添削する立場になって思うこと。
「言葉や言い方には気をつけて、常に相手を思いやることを忘れない」
一緒に活動しているみなさんは、ライターをしているからか、言葉をとても大切に扱っているなぁと感じています。
ここには納品を急かす人も、拙い記事を馬鹿にする人も、誰かを仲間外れにする人もいません。
「できるか不安・・・」「こんなのやったことない!」と正直に言っても怒られませんし、優しく受け止めてくださいます。
顔を合わせてする仕事ではない分、より一層普段のコミュニケーションが大事になります。
このチームに入ってからは、みなさんが温かく接してくださり、カチコチに固まっていたこころが優しくほぐされていきました。
「やれます」「大丈夫です」「頑張ります」が口癖だった私が、今では素直に不安を口にしたり、超初歩的な質問をしたり(笑)と、「チームで長く働く」ということを徐々に理解し始めているなと感じています。
さて、ここまで私が変われたのは、もちろんケントさんに出会ったことがキッカケではあります。
しかし、ケントさんに出会い、「記事を書く」ということを学びながら、ライターとしての成長だけでなく自分自身も人間として成長していることに気づきました。
自分を変えるキッカケ
この年になって1から何かを始めるというのは、勇気が必要だと思います。
しかも、英語の勉強とか一度やったことがあるようなことではなく、「記事を書く」という全く新しいこと。
パソコンの操作もおぼつかず、「ワードプレス」も「スプレッドシート」も初耳で、マニュアルの多さに目を回していました。
しかし、数をこなしていくうちに、「知らないことを効率よく調べる方法」や「要点をおさえて相手に伝える方法」など、教科書には載っていなかったことを身につけつつある自分に気づきました。
記事の書き方について学べるのが1番の利点なのですが、その次に、「人間として成長できる」という利点を得ることもできました。
先述したように、私は家事と育児の両立すら満足にできていません。
しかし、「今日は疲れたからゆっくりやりたい」と思っても、家事も育児も待ってはくれません。
子どもの成長や発達は日進月歩で、それに追いつこうとして息切れしています。
そんな私に成長のキッカケをくれたのも、このチームでの出会いでした。
このチームには、私みたいな新米主婦よりも経験を積んだ大先輩のベテラン主婦がたくさんいます。
彼女たちの言葉や考え方に触れ、「そういう考え方もアリなんだ」「こういう伝え方って素敵だな」と日々学ばせていただいています。
その中でも特に感謝しているのは、書人仲間のayanoさんから教えていただいた「モーニング・ページ」という習慣です。
「モーニング・ページ」は「書く瞑想」とも言われていて、頭の中を整理するのに最適な方法です。
私は毎朝15分やっているのですが、その15分で前日から持ち越している考えを整理し、自力で方向性を定めていくことで、この年にしてようやく「自分を律する」ということの一端に触れたような気がします。
ayanoさんの「書人からの手紙」はこちらです
ケントです。 いつもありがとうございます。 僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。 しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。 なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り …
「悩む」をチャンスに変える
記事のことで悩み、プライベートでも悩み、しかしそれらについてのヒントやアドバイスをくれるのもまた記事。
私が看護師になったのは、給与面で惹かれたのもありますが、嫌いだから仕事にしたというのも理由にあります。
好きなものを仕事にしたら、キツい時にいつか嫌いになってしまうのではないかと思ったからです。
ですが、今、私は書くことが好きなのに、書くことを仕事にしたいと思っています。
今はまだそのための勉強中ですが、最近、「好きなことを仕事にするのも悪くないな」と思い始めました。
あなたがライターになろうと決意したことを、未来のあなたが自分自身に感謝するかどうか、それは今のあなたにかかっています。
続けられるか分からない、自信がない、文字なんて書けない・・・そうやって「悩む」のは、「成功したい」と願っているからではないですか?
「成功したい」のならば、挑戦してみないことには結果はついてきません。
悩み始めた時点で答えはすでに出ているのです。
あなたを支え、成長の手助けをする準備はできています。
あとは、あなたが一歩踏み出すだけ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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