ケントです。
いつもありがとうございます。
僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。
しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。
なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。
嬉しいことに今はおよそ100名の仲間が集まってくれました。
一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。
僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。
ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。
ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。
また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。
そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。
ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、
生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。
何よりも自分の資産としては残りませんよね。
「書人」
自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人
僕は「書人」をこのように定義しています。
そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、
すなわち、
「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成
これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。
コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。
そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))
もし良かったら、読んでみてくださいね。
もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。
ケント
初めまして、つじまり(書人名marieマリー)と申します。
時折、日本で出稼ぎ販売員をしつつ、現在はカナダの片田舎でパートナーと暮らしています。
ケントさんのサイトに関わらせていただいてから、すでに1年以上が経過しました。
とりあえずやってみようの精神で応募した案件に、こんなに長く留まるとは応募当時の自分が知ったら驚くと思います。
なぜなら、多くのライターは昔から文章を書くことが好きな人が多いですが、私は特に文章を書くことが好きな人間ではなかったんです。
海外にいながら日本円を稼ぐ手段の一つとして、チャレンジしてみようと行動しただけでした。
ただ、昔から読書が好きで今も活字があれば漫画から小説、雑誌まで何でも読んでいます。
そして読んだ物語の続きを妄想をしたり、どういった意図を持った物語なのかを考え続けるなんて事も。
そんな妄想・空想癖が功を奏したのか、今では楽しんで記事を書いています。
こんなフワッとライター業に飛び込んだ私の昔話に少しだけお付き合いください。
なかなか苦しかった葛藤の20代
私は、子供の頃から誰も自分を知らない所へ行きたいと漠然と考え続ける現実逃避気味の人間でした。
文章よりも絵を描くことが好きで、将来の夢はファッションデザイナー。
その道を真っ直ぐ目指しファッションの専門学校に進学しました。
デザイン画が学校代表になったり、地域のコンテストで入賞したりと少しだけ特別な体験をすることが出来ましたが、特別な才能はありませんでした。
卒業後、デザイナーとして採用された会社が店舗での研修期間中に民事再生となり、紆余曲折あり結局地元に戻り服飾工場に就職します。
そこでの人間関係や仕事に悩み、後から振り返れば鬱に近い状態になっていました(実際に記憶にない期間があります)
もがいてもがいてファッション業界から離れて全く関係ない業界の仕事についたこともあったんですが、元の世界に戻るのに時間はかかりませんでした。
今度は作る側ではなく、売る側で。
飛び込んだのは、バッグ1点数十万のラグジュアリーブランド業界です。
それまでに有名キャラクターグッズショップやアウトレットモールでの販売員も経験しましたが、商品の質・アフターケアなど比べ物にならず顧客に絶対の自信を持って販売できるのは快感でした。
以降は出稼ぎ販売員もラグジュアリー業界1本で稼いでいます。
必死に働いていましたが、ある時先輩がワーキングホリデーに行くと退職したんです。
日々、ただ仕事をするだけだった私には
「そっか、そういう選択肢もあるんだ。」
と衝撃でした。
その時既に28歳、ワーキングホリデーに行くにはリミットが迫っていました。
今しかないと思った私は一念発起、海外に出ることに決めたんです。
普段はぼんやりしてますが、決めたら速攻!猪突猛進!
デザイナーを目指していた時もそうですが、行動するときは真っ直ぐ目標しか見えません。笑
肩の力が抜けた冒険の30代
一念発起してオーストラリアへのワーキングホリデーを決めた私ですが、当時は全く英語がわかりませんでした。
英語でのビザ申請を留学エージェントに依頼するのは簡単でしたが、余計な出費を抑えたかった私は全て自分ですることに決めたんです。
そこで、まず始めたのがインターネットでの情報収集。
それまでアナログでパソコン操作に疎かった私にとって、そこはまさに情報の海!
沢山の人が経験や情報を発信をしてくれていたお陰で、エージェントに頼ることなく渡航できました。
今思うと、これが印象に残っていたのでライターという職業に興味を持ったのかもしれません。
それまでライヴや夏フェスでしかスニーカーを履かず年中ヒールを履いて、一人旅もしたことがなかった人間が29歳にして1人で始めた新生活。
それも文化も言葉も違う未知の世界オーストラリアで、です。
本当に誰も自分を知らない土地で0から人間関係を始めました。
語学学校時代は、日本人と遊び英語力が全く伸びないダメワーホリと呼ばれる生活でしたが、お酒が飲める高校生活のようでとても楽しかったです。
卒業後は、様々な人に出会いながら周りに日本人がいない状況でも友人を作り楽しめるハートの強さを手に入れました。
当時は、度胸と愛嬌だけで生き抜いたといっても過言ではないでしょう。
このような生活を続けるうちに、ガチガチに凝り固まっていた心がほぐれ、気負わずに生きられるようになっていました。
おそらく、これまでの仕事や人間関係から解放されて、本来の自分を取り戻していったように思います。(実際に友人から顔つきが変わったと言われました。)
1年だけの思い出のつもりでしたが、あまりにも楽しくて2年目そしてカナダへと海外生活を続けていきます。
潤沢な資金があったわけではないので、どちらの土地でも貧乏暇なしで働きまくっていました。
日本食レストランのウェイトレスから始まり、農作業に焼き鳥職人そして洋服の販売員など多種多様な仕事を経験していくうちに
「あ、どこでも生きていけるな。」
という心境に達し今に至ります。
その後、カナダワーホリの終盤にカナダ国内から南米、そしてNYを回る旅行中に出会ったのが今のパートナーです。
このパートナーとの出会いが私をライターへと導いていくきっかけでした。
ケントさんとの出会い~ライターという新たな選択肢を見つけて~
ワーホリも終盤に差し掛かったころ、私が考えていたのはこんなことでした。
「年齢も年齢だし日本に帰ったら、就職して足元をしっかり固めなくちゃ!」
しかし彼と出会ったことにより、私の人生設計が一変します。
半年間日本でお金を稼いだら、半年間は観光ビザで彼のもとで過ごすという生活を数年繰り返しました。
もちろん観光ビザなので、正式に働くことはできません。
最初は、家事の合間に知り合いの家を掃除してお小遣いを稼いだり、フリーの英語クラスに通い勉強しながら過ごしていました。
しかし、やはり金銭面の不安は拭えません。
「カナダにいながら日本円を稼げないかな?」
「世界中どこに移り住んでも、辞めずに済む仕事はないかな?」
こんなことを考えながら調べるうちに、ソーシャルワーキングサイトというものを知りランザーズに登録しました。
最初はアンケートに答えたり感想を投稿したりと簡単な案件をこなすうちに、自分の経験を発信できるかもしれないライティングというものに興味を持ったんです。
「でも未経験だし、記事を書くってそもそもどうすればいいの?」
「こんなレベルでOKの仕事なんてあるんだろうか?」
自分に出来ることは無いかと、募集案件一覧を睨んでいました。
そんな時に英語学習に関する記事作成で、「これからライティングを学びたい方、初心者歓迎」の案件を発見したんです。
「【2か月間で20記事を納品】この条件であれば帰国する前に終わるし、英語学習に関してなら書けるかな。」
そんな軽い気持ちで応募しました。
これが、こんなに長くお付き合いするとは思ってもいなかったケントさんとの出会いです。
最初は、本当に何も知りませんでした。
「ワードプレス?スプレッドシート?どうやって使うの?」
わからないことだらけでしたが、黙々と2か月以内に20記事書き上げることを目標にこなしていました。
当初は、かなり自由になる時間があったのでコンスタントに仕上げていたと記憶しています。
10記事目からは添削者、そして後半はサイトのメインとなるスクールに関する記事やTOP記事などにも挑戦させていただきました。
全く手探りの状態で、頭を抱えながら書き上げた記事も沢山あります。
そんな時、他の記事作成者様や添削者様のアドバイス、そして諸先輩方が書き上げた記事を参考にさせて頂いたりしていました。
「あ、こんな風に画像を使うとファニーだし記事への興味も増すんだ!」
「こういった言い回しの方が、読みやすいんだな。」
など、気付きになることが沢山ありました。
やはり客観的な意見や感想を頂けるのは、とても勉強になりモチベーションの維持にも繋がります。
添削者という立場も新たな視点での学びになり、読みやすい記事とは何か?という事を考えるいい機会になりました。
そしてこのチーム体制での取り組みに、私はとても助けられました。
20記事を書き終えた後、日本に戻り出稼ぎ販売員をしていた時です。
繁忙期の忙しさと体調不良によりパンクしたことがあります。
いっきに5記事の添削依頼が来ていたんですが、なんとか仕事を終わらせて家に着くと身体を動かせなくなりチームリーダー部屋でヘルプを要請しました。
その時も早いレスポンスと気遣う言葉を頂き、ケントさんにもフォローしていただきました。
どうしても1人での戦いになりがちなライターという職業も、こういった人との関わりで私は続けてこられたのだと思います。
環境を最大限生かし未来につなげる
ところで、私は必ずチームメンバーさんに「他の方の記事を沢山読んでみて下さい。」とお伝えしています。
これにはサイト内の雰囲気を知っていただく目的もありますが、沢山の記事作成者さんの表現方法やアイディアを見て知って頂きたいという理由が大きいです。
本来、多くのライターは1人での作業環境で意識しなければ自分以外の多くのライターの記事に触れるというのは難しいですよね。
しかし、こちらの書人サイトでは沢山の個性的で実力のあるライターの記事を検索しなくても読むことができます。
そして感想を伝えあったり、他のライターと交流を深められる会話の場も用意されています。
こんな恵まれた環境、なかなか無いと思いませんか?
私が関わった短い期間にも、多くのライターがどんどん成長していくのを何度も目撃しました。
意識的にせよ無意識だったにせよ、この環境を最大限生かし積極的に交流・発信し楽しんでいた方たちです。
周りの刺激も受けながら、時には読者の立場にもなって楽しむ。
苦しみながらではなく、楽しみながら未来に繋げられる稀有な環境だと私は思います。
選択肢があるという強み
人生は選択の連続です。
私はその中で「反省はしても後悔はしない。」をモットーに生きています。
副業が当たり前の時代になり、お金を稼ぐ方法を一つに絞らずに複数持つ事でリスクを分散していく。
その選択肢の一つにライターという道がある。
自分の文章が誰かの共感を呼び喜ばれる。
それが夢では終わらないのがライター業です。
ここでなら失敗してもフォローし励ましあえる仲間がいます。
困ったことや不安なことがあればリーダーに聞いてみてください。
きっと解決の糸口が見つかります。
私も、いまだに自分がライターが向いているのかはわかりません。
でも書く場があり、書きたいと思ううちはチャレンジし続けたいと考えています。
この場で出会えたのも何かの縁です。
ぜひアナタも、ライターという選択肢を持つ仲間になりませんか?
→ TOPに戻る