ケントです。
いつもありがとうございます。
僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。
しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。
なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。
嬉しいことに今はおよそ100名の仲間が集まってくれました。
一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。
僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。
ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。
ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。
また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。
そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。
ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、
生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。
何よりも自分の資産としては残りませんよね。
「書人」
自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人
僕は「書人」をこのように定義しています。
そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、
すなわち、
「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成
これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。
コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。
そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))
もし良かったら、読んでみてくださいね。
もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。
ケント
はじめまして。
元保育士で現職総務事務をしている、ゆうこと申します。
2児の男児の母で、忙しくも充実した生活を送っています。
私がこのライティングサロンに入ったのは、2人目の育休の最中でした。
それまでは、自分の中にライター「ラ」の字も存在しませんでした。
せっかくご紹介していただいたので、少しだけ私の昔話に付き合ってもらえると嬉しいです。
大学卒業後、憧れの保育士に
10年ほど前、私は4大の教育学部を卒業し、夢だった保育士になりました。
最初は慣れないながらも、子どもとの日々を楽しみ、やりがいのある仕事に充実感を感じ、毎日忙しく過ごしていました。
この時はまだ保育士として、今後も自分を高め、過ごしていくんだなぁとのんきに考えていたのです。
しかし、結婚後、異動により環境が変わり、すべてが変わってしまいました。
今までは自分のことだけをしていればよかったのですが。
家事のすべてがタスクに入り、自分の時間を捻出することがだんだん難しくなってきました。
加えて、移動先の保育園の環境は私との相性が悪く、毎日上司に怒られ、残業だけでは足りないので、休日返上で家でも作業の日々。
いつしか夢だった保育士像がバラバラと崩れていき、ついには体と心を壊し、5年目で辞めることになりました。
転職先は、事務職。全く違う仕事に
転職先に選んだのは事務職でした。
環境が変わったことにより、体も心もみるみる元気になりました。単純ですね(笑)
幸い、私は幼いころから自宅にパソコンがあるような生活をしていたので、パソコンを扱う業種に抵抗はありませんでした。
ここで初めて、今の恩師である上司に出会い、会社というものはどんなものであるのかを教えていただきました。
「もっともっと腕を磨いて、上司の役に立ちたい!!!」
この頃から様々な資格の勉強を始め、MOSExcel2013、品質管理検定3級など、たくさんの知識を吸収し始めました。
「もっともっとやるぞー!!」っと思っていた矢先、子どもを身籠りました。
長男を出産、産休と育休を経て再び職場へ
契約社員でしたが、ありがたいことに福利厚生はちゃんとしていたので、産休、育休をいただきました。
その後、時短勤務という形で復帰、息子を保育園へ預ける生活が始まりました。
最初はすごく寂しい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだったのを覚えています。
息子は保育園を楽しんでくれていたので、そのあたりに不安はありませんでしたが。
しかし、私は前よりも、うんと焦っていました。
雇用形態が正社員ではなく、契約社員だったからです。
契約を切られればそこまでの身分。
いかに自分しかない魅力をもって、上司を惹きつけなければ、首を切られかねない雇用形態に怯えていたところはあったでしょう。
そして、時給であるため、出勤日数が少ないとどんどん月の給与が下がります。
もちろんボーナスはありません。
今までの金銭感覚でいると痛い目をみます。
旦那の給与も安定はしているのですが、決して十分ではなく、生活するには私も働かざるを得ませんでした。
私自身、奨学金も抱えていたので、より多くのお金を手に入れなければと必死に働いていました。
加えて、息子の保育料、育児費。
明らかに家計の収支状況は支出が多く、毎日、節約し、なんとかやりくりができるという生活。
ついには自分の奨学金も減額申請を出さないと、家計を回せない自体になっていました。
「いつかは正社員として働きたい。そのためには、自分にもっと力が必要だ!!」
仕事、子育てに追われながらも、必死に寝るまも惜しんで勉強勉強勉強!!
電車の中でも、会社でも休憩時間を使って勉強しました。
まったく知識0の状態からFP3級を取得しました。
「もっともっと頑張って、会社に必要とされる魅力を磨かなくては!!」
私はそう思い、次はFP2級の勉強をし始めました。
独立まではいかなくとも、これを活かした仕事につけるかもしれないと思っていました。
しかし、3ヶ月ほど経った頃、予想外のことに2人目を妊娠しました。
「まあでも、復帰したら、またこれまでのようにがんばればいいか」
そんな考えで生きていた私だったのですが。
2人目の子の成長とともに、私のその考えはどん底にまで叩き落されることになったのです。
2人目の病気の発覚
妊娠生活も後半に入った頃、妊婦健診で病院の先生に驚くことを言われました。
「この子、頭が大きいです。水頭症の可能性があります。」
え?なんですか?それ。
水頭症って何?
次男は先天性水頭症という、1000人に2人、3人いるかいないかの難病をもっていたのです。
きちんとした検査をすべて受け終え、結果がわかるまでの間、自分のことを責め続けました。
どうしてこの子だったのか?
私が無理をしたからか?
もっと生活に気を付ければよかったのか?
「普通の子として産んであげられない」
次男への罪悪感がひどく、長男の前でも泣いて過ごすこともありました。
ただそんなことをしても、次男が難病をもっていることに変わりはない。
それならば、元気に産んであげて、責任をもって、親として育てていかなければいけないのではないか。
母って強いですよね。そう思えちゃうんですよね。
腹をくくって、出産にのぞみました。
産まれてすぐに手術、次男のその後・・・
出産は帝王切開でした。
母子ともに無事に出産を終え、4日後に息子は手術をしました。
心配でしたが、本当に良い先生にあたることができたので、次男の回復は早く、1ヶ月半ほどNICUで過ごし、無事に退院することができました。
その後、とくに大きな問題もなく、次男はすくすく育ってくれました。
身体機能の遅れや知能的な遅れはあれど、表情豊かでよく食べてくれるので、母親としては安心しました。
しかし、本当にこのままでよいのか?自分の自問自答は続き、不安は膨れ上がっていきます。
その後、きちんとした検査を経てわかったのは、先天性水頭症の原因は遺伝子の突然変異によるものということでした。
しかし同時に、水頭症の中でも非常に難病であることがわかりました。
月に1回の他府県大学病院での定期健診、週1の訪問看護、周辺地域病院での定期健診、今は2週に1回のリハビリも加え、運動機能の発達支援を受けるなど、病院周りが当たり前の生活になりました。
ちなみに、次男は現在10ヶ月になりましたが、今やっと寝返りができるようになったところです。
まだ十分に首を自分であげることもできません。
すでに身体機能的には、普通の子よりもかなり遅れを取っている状態でした。
この子の個性と思いつつも、やはり心のどこかでは焦りがありました。
そして、一番のリスクは手術の際に、脳に入ったシャントです。
脳の髄液の流れを調節する機械が、次男の頭の中には入っています。
これは、今後、一生彼にはないと生活ができないものです。
頭に異物が入っていながら、それがないと生活ができない次男は身体的なリスクも日々抱えていました。
「けいれんを起こしたら、即救急車」
そんなリスクも抱えた息子を、職場復帰と同時に保育園へ預けることがかなり不安でした。
しかし、働かないと暮らしていけないのが現実です。
経済状況は以前より、悪化することは確定していました。
復帰しても病院通いが多い為、週5で働くのが難しくなり、復帰後はパートになります。
かつ時短の勤務。復帰後、今まで以上に給与が下がるのは目に見えてわかりました。
それ以前に、そんな状態の次男を保育園へ預けることができるのかも、最初は定かではありませんでした。
病気をもっている子は集団生活が難しく、保育園の入園を断られることも少なくはないのです。
ビクビクしながら、入園のお願いをしたのを覚えています。
増大する将来への不安
結果的に次男は保育園になんとか入園することができましたが、心配は増大するばかりでした。
- いつ保育園にいけなくなるかわからない
- 次男が大きくなったらさらに身体的・知能的サポートが必要かもしれない
- 今の職場は通勤が1時間かかるため、長男が小学校に上がる頃には今の職場に居続けるのは難しい
- 子どもが小さい、子どもが病気もちだとこの先雇ってもらえるかわからない
- こんな条件で正社員なんて無理
- でも、働かないと生活ができない
考えたくない現実の重圧に、精神的に参りそうな毎日でした。
そのとき、ふと思いました。
「なんとか在宅でも稼げないだろうか。」
そう思った私は、パソコンを使った在宅の仕事について探し始めました。
「輝かしい実績があるわけではないし、すぐに活かせる資格なんてない。」
そんな中途半端な私なので、当然ながら在宅ワークの職探しは難航しました。
在宅ワークと言っても、種類は様々だし、どれも敷居が高く感じてしまいます。
でも、なんとか残りの育児休業期間中に何か始めなければと焦り、必死で探しました。
「こんな私でも役に立てる在宅ワークなんてあるのだろうか。」
探せば探すほど、自分の自信がどんどん無くなっていきました。
そんな時、1つだけ目を引く求人に出会います。
それが今のサロンへの道につながり、私の道が開けるとはこの時は思いもよらなかったのです。
選んだ在宅ワークはライティング
「ファイナンシャルプランナーで楽しく在宅で稼ぎたい方にすごく最適なお仕事です!」
そんなキャッチーなタイトルの求人を見つけました。
とくに文章を得意とするわけではなかったですし、自分自身FP業務に従事たことはなかったのですが、少しでも資格を活かせるのなら・・・と思い、応募しました。
仕事の内容は20記事納品!!そして、ライティングサロンへ招待されました。
しかし、この時は初心者で20記事という重みがどんなものであるのか、とくにわかっていなかったと思います。
早く納品を済ませて、スキルを身につけ、次の仕事へ向かうまでだとも考えていたでしょう。
しかし、ここで初めて20記事の重さを思い知るのでした。
ライティングは甘くない!!
慣れない仕様、リサーチの大変さ、文章の組み立て方や考え方など、ライティングは本当に考えることが多く、産後こんなに頭を使ったことないというくらい使い倒しました。
全然進まない記事作成、理想と現実とのギャップにショック受けまくりです!!
- 20記事納品なんて本当に自分にできるのか?
- そもそもライティングは自分に向いているのか?
- こんなことやっていてほんとに稼げるのか?
甘く考えていた自分を反省する毎日でした。
とくに5~10記事目作成中が一番しんどかったように思います。
早くから添削者としても挑戦させてもらう機会をいただきましたが、それにも難航しました。
それでも頑張れたのは、チームで頑張れる体制ができていたからだと思います。
でないと、孤独と先の見えない不安に押し潰され、とっくに辞めていたでしょう。
今だからこそ、そう思います。
10記事達成後、世界が変わり始めた
10記事達成を果たしたとき、いろいろ見え方が変わってきました。
記事作成で学んだことを、添削でアウトプットし、自分の中で知識を置き換えるという流れが自分に合っていたのでしょう。
コツを得ると、どんどん記事が書けるようになりました。
自分のつたない文章でも、「読みました!」と感想をくれた時には、本当に嬉しかったです。
一人だったら、きっと挫折していたと思います。
後に、チームのリーダーをさせていただくことになり、自分の添削で感謝されたり、「ゆうこさんのチームでよかったです!!」と言ってもらえたりする機会が増えました。
自分が必要とされていることが嬉しく、とてもやりがいを感じましたし、チームの為にもっともっと自分は知識をつけたいと考えるようにもなりました。
今までは上の為に、知識を身につけていた
ある日、気づいたんです。
今までは上司や職場の上の人の為に知識を吸収し、活かしていました。
それが当たり前だと思っていました。
会社に居続けるためには、それが手段でしたから。
ところが、「誰かを育てるため」「自分と同じ境遇で頑張っている人の為」に知識をインプットする自分が、いつのまにかそこにいたのです。
この意識の変化は私にとって、かなり大きなものでした。
実績やスキルではなく、私自身を必要としてくれている誰かのために、頑張れる自分がいたのです。
輝かしい実績やスキルがあるわけではない私が。
ただの2児の母で主婦の私が。
必要とされる誰かのために頑張れるなんて、思いもよらぬ収穫でした。
「今まで頑張ってきた広く浅い知識も、ライティングであれば活かしていける!!」
そこに気づいたのです。
やっとスタートライン
ライティングを始めて5ヶ月が経ちましたが、収入が増えたわけでも、生活がゴージャスになったわけではありません。
しかし、自分の価値観が大きく変わり、以前よりもはるかに心に余裕を持っています。
今は自身のブログも運営しながら、ライティングを楽しんでいます。
これほど心が豊かになるとは思いませんでした。
時間が日々恐ろしく早く過ぎるので、「もっともっと早くにやっておけば・・・・」みたいな後悔も出てくるほど夢中になっています。
これから本業の復帰も間近に控えている為、忙しくなりますが、自分の力を必要としている誰かに届けられるよう、頑張っていきたいです。
- 同じく子どもが病気を抱えている
- 子どもが小さくて外へ働きに出れない
- 働いているけれど、毎日経済的に不安を抱えている
- 自分自身が誰かに必要とされたい
そんな悩みを抱えている方に、届けられる文章を書くのが今の私の夢です。
そして、女性が輝ける未来を仲間とともに一緒に紡いでいきたいです。
今はその夢を叶えられるよう、サロンの仲間と日々、自分しかもっていない原石を磨いていきたいと思います。
あなたにしかない原石を、ここで私たち一緒に磨いて、未来を紡ぎませんか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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