【書人さち】私に恩を送らせてください~Webライターとして生きる~

ケントです。

いつもありがとうございます。

僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。

しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。

なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。

一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。

 

僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。

ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。

 

ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。

また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。

そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。

ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、

生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。

何よりも自分の資産としては残りませんよね。

「書人」

自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人

僕は「書人」をこのように定義しています。

そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、

 

すなわち、

「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成

 

これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。

コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。

 

そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))

もし良かったら、読んでみてくださいね。

もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。

ケント

 

今まさに、この画面を見ているあなたのために、記事を書く。

それが私の仕事です。

 

みなさん、こんにちは。

さちと申します。

 

ケントさんにお声がけいただき、この手紙を書く機会をいただきました。

自分語りですが、どうか最後までおつきあいください。

 

「褒められない子ども」からの脱皮

私は「親から褒められない子ども」でした。

 

我が家は明治時代の「家父長制度」が未だに残っているような、古い価値観で固められた家。

家庭内の序列は、父、兄、母、母方の祖母、私という順で、何かの決定権が私に回ってきたことはありませんでした。

 

女に生まれる意味

第一子に、跡取りとなる男の子が欲しかった両親。

兄はそんな両親に、手放しでかわいがられていました。

 

次に両親が欲したのは、女の子。

両親は、なぜ女の子を望んだのか。

 

それは、親の言いなりになって家の手伝いをし、老後の介護要員になる子が欲しかったから

 

母は当時としては珍しく、フルタイムで働く女性でした。

父は「亭主関白」を絵に描いたような人で、妻に三つ指ついて奉仕をしてほしいタイプです。

しかし、自身の見栄や物欲のためには母の稼ぎが必要で、しぶしぶフルタイム勤務を認めている状態でした。

 

母が父と同じように働いていたので、家事は祖母が中心となってしてくれました。

私は「女だから」自分の意志は無関係に、祖母を助けなければならない立場。

祖母は家事が苦手な人で、彼女ができないことは私がしました。

祖母が作れない料理を作り、アイロンをかけ、窓をふき、兄の靴を洗い…

 

母の認識では私が「女だから」一度教えたら何でもできるのが当然で、できないと激しく叱責されました。

できるのが当然だから、できても褒められないのは当たり前だったのです。

(ちなみに、母は祖母と同じく家事が苦手でした。

「女に生まれたから」というロジックはどこから来たのか、今でも不思議です)

 

成長するにつれ、私は自分の家の異常さに気づき始めました。

同年代の友だちより家事をしている私を、褒めてほしい、「ありがとう」と言ってほしいと、訴えたこともあります。

でも「手伝いをするのは、女なら当たり前」と、怒りを買うだけ。

 

どうにかして、こんな暮らしから脱出したい。

 

女に生まれたことを、どれほど呪ったことでしょう。

考えに考えた私が行きついた答えは「兄と同格になること」でした。

 

兄は、地元の中学校で知らない人はいないほどの「天才」でした。

プライドの高い両親は、学業成績が良すぎるほど良い兄を、大変誇りにしていました。

 

私も成績が良ければ、兄と同じ扱いを受けられる。

 

そう思って、中学校に入学すると勉強に励みました。

クラスで1番になると、うれしくて母に報告。

「学年では何番なの?」

「7番。」

「ふーん。」

この程度では兄と同格だとは認められないと、努力を続けることに。

 

とうとう学年で1番になったとき、今度こそ褒めてもらえると期待して、母に伝えました。

「2番の子と、何点差なの?」

「1点だったと思う。」

「お兄ちゃんは20点くらい引き離して、先生に点を取り過ぎと言われたものよ。」

とどめを刺されて心が折れ、私の成績は急降下していきました。

 

嫌いな自分が反転すると

勉強に見向きもしない生活を続けていたある日「このままでは親の言いなりで終わってしまう」と気づいた私。

母が「兄と同じ高校に行ったら勉強に追われるだろうから、家事をする時間はあまり取れないだろう」と言っていたのを思い出しました。

 

見栄っ張りの両親は、人に自慢できるような大学に合格すれば、一人暮らしをさせてくれるはず。

その戦略の手始めとして、兄の母校に行くと決めました。

 

このとき私を助けてくれたのは、中学3年生当時の担任の先生です。

先生は、志望校まで成績が足りない私の親身になって、動いてくださいました。

 

万が一志望校が不合格でも、大学進学に熱心な私立高校なら夢が叶えられるからと、併願先の変更を母に打診。

(母は却下しました…)

不合格の不安が拭えず怖がる私を、さまざまなデータを探しては「行ける」と励ましてくださいました。

 

400人中399番かと思うような危うい成績で高校に合格すると、真っ先に先生にお礼を言いに行きました。

「卒業しても、また会いに来たい」と話したときの先生の言葉は、今でも忘れられません。

 

君はこれから必ず幸せになって、その幸せをだれかに分けられると信じている。

僕に恩返しはいらない。

恩はだれかに送ってくれたら、それが一番うれしい。

「恩送り」という言葉を、初めて知った瞬間でした。

 

先生の言葉を聞いて、思い当たることが2つありました。

先生が私を褒めるときはいつも「公共心がある」「ニコニコ顔を見ていると、気持ちが明るくなる」とおっしゃいました。

※「公共心」とは…公共の利益のために尽くそうとする精神。

 

親の顔色を見て、期待に沿う行動をとるのが身にしみついていた私は、人が困っているのを察すると動かずにはいられませんでした。

また、生まれつきのへの字口を親から「不満そうだ」と怒られていたので、不機嫌に見えないよう常に口角を上げていました。

卑屈に思えて嫌いだった自分の行動は、まるで鏡に映すと反転するように、先生には長所に映っていたのです。

 

「これからも人の役に立つことをして、明るく生きなさい」と、先生はおっしゃったのだと思います。

 

「Webライター」という仕事との出会い

大学生で晴れて念願の一人暮らしもでき、年ごろになって大好きな人と結婚した私。

結婚後に始めたのは、学習参考書の営業職(派遣パート)でした。

 

自分の力の限界

学習参考書業界はライバルが多く、他社はお客様の要望に応えるどころか、先取りが普通。

ところが、私が勤めた会社はその業界では老舗ということもあり「買うなら売ってやる」くらいのスタンスでした。

 

お客様の要望を頻繁に報告するものの、99%通らない。

何とかお客様の役に立ちたいと、会社に頼らず自分でできる範囲で何とか要望に応えていきました。

おかげでお客様には大変かわいがっていただき、毎日が充実していました。

 

しかし、だんだんと年齢を重ねていくと、運転中に急激な眠気に襲われることが増えていきます。

(外回り営業に、車の運転は必須です)

おそらく更年期症状の始まりだったのですが、ガムを食べたりエナジードリンクを飲んだりして、しのぐ毎日。

肝心の仕事も、会社の力を使わずにお客様のご要望に沿うのは、限界が見え始めていました。

 

ある日、実現がとても簡単そうなご要望をいただきました。

コロナ禍で在宅作業が増えていたこともあり、自分が作業を請け負うから、それを全員で共有しようと提案。

同じようなことで同僚が困っているのも知っていたので、これで一気に解決できると思いきや…

 

会社から返ってきた答えは、いつも通り「何もしない」でした。

 

自分の中で「プツン」と音がしたのを、聞いた気がしました。

命を危険にさらしてまでがんばる価値のない仕事だと、悟ったのです。

お客様の役に立つために、私の力でできることは何もないことも。

 

次の仕事を探し始めたとき、ピコンとランプがつくように思いついたのは、在宅ワーカーでした。

 

SNTに応募

手始めに、テレビCMでもおなじみの求人情報サイトに登録。

検索窓に「在宅」と入力して、完全在宅ワークを探し始めました。

 

運よく、今も続けている社内報ライターの仕事に合格。

前職をさっさと辞めたのはいいのですが…遅筆の私はちっとも稼げない。

今では、比較的文字単価が高い仕事だと分かります。

でもそのときは、もっと別の仕事を探さないと!と焦るばかり。

 

いろいろ探して、ようやく「在宅ワーカー」は「クラウドソーシングサービス」に登録するものだと知りました

 

ここからがまた困難続き。

社内報のライターとして働き始めて、1か月がたっていました。

しかし、クラウドソーシングで受注できる「Webライター」の仕事に関しては、ずぶの素人。

初心者案件を中心に応募を続けました。

 

1か月5万円稼げるライターに育てます!

丁寧な添削でSEOライティングのコツが分かります!

 

このようなうたい文句に誘われて「4000字100円」などの案件を受注しました。

育ててくれるどころか、締切に間に合っているのに「仕事が遅い」とか、添削なしで「継続しない」とかで、切られてしまいます。

 

途方に暮れていたときに出会ったのが、SNTの募集でした。

そのころには用心深くなっていて、SNTの評判を検索したり、実際にサイトをのぞいたり。

どうやら添削はきちんとしてもらえるらしいと、応募を決めました。

 

渡されたマニュアルは「こんなに教えてしまって大丈夫かしら?」と、こちらが心配になるほどの内容。

自分がWeb記事を何も分かっていなかったことも、痛感しました。

実際に記事を書いて添削を受け、細かく赤い文字の入った文を見て感動し、入会を決めたのです。

(それでもしばらく「途中で怪しい壺を売りつけられるかも…」とドキドキしていました。

SNTのみなさま、ごめんなさい)

 

こうして私は、Webライターとしての第一歩を踏み出しました。

 

「恩送り」を形に

今、私の目標は、Webライターとして人の役に立つことです。

SNTで関わった人たちから受けた恩を送ることです。

 

女に生まれたのを呪った私が、女性だけのサロンにいるとは、人生は不思議でおもしろいなと思います。

 

実家とは、まだ軋轢があります。

しかし、ここまで来てようやく「あの家で育ったおかげで、今の私がある」と思えるようになりました。

 

夫は、私の明るいところ、何事も一生懸命できちんとしているところが好きだと言ってくれます。

(実は面倒くさがりです…夫の存在はある意味堕落しないためのストッパー)

 

子どもたちには私のような思いはさせまいと心に誓って、育てています。

親の私が言うのもおこがましいですが、みんな思いやりのあるいい子たちに育ってくれています。

 

そして、自分の力で「恩送り」ができる仕事を見つけました。

実現するのは、まだ遠い先かもしれません。

でも母が、たった一つ私を褒めてくれたのは「続ける力」でした。

だからきっと生きている限り続けていけると、信じています。

 

 

今、何かの組織に属していて、思い描いた理想とのギャップに悩んでいるあなた。

迷わず「Webライター」という仕事をおすすめします。

 

あなたの経験のすべてが生かせる仕事。

あなたと同じような悩みを持つ人に、寄り添う仕事。

あなたが、自分の人生を生きられる仕事。

 

Webライターは、そんな仕事です。

 

思い切ってその道へ踏み出す、あなたの役に立ちたい。

私に、恩を送らせてください。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

→  ライティングサロン「SNT」

→  【無料】女性ライターが集まる書人百花部

→  TOPに戻る