ケントです。
いつもありがとうございます。
僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。
しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。
なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。
嬉しいことに今はおよそ100名の仲間が集まってくれました。
一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。
僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。
ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。
ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。
また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。
そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。
ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、
生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。
何よりも自分の資産としては残りませんよね。
「書人」
自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人
僕は「書人」をこのように定義しています。
そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、
すなわち、
「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成
これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。
コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。
そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))
もし良かったら、読んでみてくださいね。
もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。
ケント
書人 しぇり の手紙にようこそおいでくださいました。
先にプロフィールを見ていただいた方は、ご存知いただいていると思いますが、改めて自己紹介させてください。
私は、のんびりな長女としっかり者の次女をもつ、穏やかな子育てを夢みる母をしています。
今日も朝から繰り広げられる、姉妹のバトル。
「○○の呼吸、狂い咲きー!!とりゃー!」
「もう、やめて!!痛い!!やめてって、いってるでしょ!!」
なぜか上の子にむけて、服をブンブン振り回して当てる下の子。
そんな中で、朝食のプレートをいそいそと運ぶ私。
ガシャーン!!
見ると、朝食プレートのひとつがひっくり返っていました。
「こらー!!」
穏やかとはかけ離れた朝から、私の一日が始まります。
母親として何ができるの?
この元気な二人の娘、実は、ほんの少しだけ通常とは違う症状を、それぞれ持って産まれてきました。
下の子は産まれてすぐに、先天性の心臓の病があることが判明。
まだ、出産して病院に入院しているときに病室に男性の医師が現れて、こういいました。
「実は検査の結果、お子さんの心臓に少し問題があることがわかりました。先天性心室中隔欠損症です。」
その時の私はただ、静かに先生の話を聞くことしかできませんでした。
「大丈夫ですか?」
男性の医師が病室をでたあとも残ってくれた女性看護師の方に、そう、声をかけられたとき、初めて頬に涙が伝わってきました。
ただただ何も言わずに背中をさすってくれた温かな看護師さんの手に、私は涙を止めることができずにいたのです。
先天性心室中隔欠損症について
『先天性心室中隔欠損症』と言われても、あまりよくわからないという方が多いと思います。
ここでは少しだけ、簡単に説明させていただきます。
- 心臓の右心室と左心室の間にある「心室中隔」と呼ばれる壁に、生まれつき穴があいている疾患。
- 状態によっては手術が必要になることもあり、重症になると中には命を落とすこともある。
- 新生児1000人あたり3人の割合で出生すると言われる。
開いている穴が小さい場合、手術まで至らず、自然閉鎖する可能性もあるそうです。
下の子の場合は、開いている穴の大きさから『自然閉鎖する確率20%/穴が開いた状態のまま成長していく確率80%』といわれました。
そして、自然閉鎖するのは1歳までが最も多いとも。
下の子の次の検査が2か月後といわれたとき、私はとても不安になり、医師に質問しました。
「先生、何に気をつければいいですか?してはいけないことは、ありますか?」
「大丈夫。普通に生活してください。」
普通・・・普通って、一体どうすればいいのだろう。
20%の確率を信じて
もう、普通が何かもわからなくなっていました。
もしも、穴が開いたままならどうなるの?
私が妊娠中に無理した?
私に何ができる?
あふれ出てくる不安を必死に抑え、この子に自然閉鎖の20%の確率を手に入れさせるにはどうすればよいのか。
また、母親として何ができるのかを模索する日々が始まりました。
そして、下の子が生後8カ月となり、4回目の定期検査にて医師から伝えられたのは・・・
「(心臓の心室中隔にあった)穴は、閉じていますね。」
完治なのか、もう再発はないのかを何度も医師に確認して、私は診察室を後にしました。
帰りの車の中で下の子の笑顔をみたとき、一気に涙があふれてきました。
今でもこの期間のできごとを思い出すと昨日のことのように感じ、涙がでてきてしまいます。
この記事を書いている今も。
この病については、また改めて、お伝えしたいと思っています。
場面緘黙の症状と向き合うこと
上の子には場面緘黙という症状があります。
場面緘黙については、あまりご存知ない方も多いので、簡単に説明させていただきますね。
場面緘黙の一般的な症状として、家ではたくさんお話しができるのですが、一歩外に出ると声を出せなくなったり聞こえないくらいの小さな声になったりします。
ですが、声がだせなくなる場面は、ひとりひとり違います。
そのため、例え学校で教師にあてられて答えることができ、音読も上手くできていたとしても、なぜか雑談になると声がでないこともあるのです。
そのような場合、場面緘黙のことを知らなければ、周りの子はこのように思うかもしれません。
「何?私達とは話したくないってこと?無視するなんて最低じゃん!」
何もわからなければ、話しかけてくれた子も傷つきますよね。
誤解されてしまうのも当然かもしれません。
でも、本人もどうしようもできないのです。
なぜなら、自分でもなぜ声がだせないのかがわからないから。
どうか、これだけは誤解しないでください。
場面緘黙の症状を持つ子は本人の意思で声を出さないのではありません。
本人の意思とは関係なく声が出せなくなるのです。
ちなみに上の子は、自分ひとりに注目される状態だと声が出なくなるようです。
例えば、複数での発表は小さな声ながら発表できますが、一人で発表することはできません。
また、知らない人や親しくない人に話しかけられると硬直してしまいます。
それが例え自分より小さな子でも。
挨拶をされても返せないことが原因で、体調を崩してしまったこともあります。
場面緘黙を持つ子は元々、生まれ持った「不安になりやすい気質」がベースにあり、入園・入学・転居など環境の変化で発症することも珍しくありません。
生まれつき脳の中の『扁桃体(へんとうたい)』と呼ばれる『危険に反応する部分』が反応しやすいともいわれていますが、未だに解明されていないのです。
研究途中であるため、治療方法も確率されていません。
よく、場面緘黙と混同されてしまうのが、ショックな出来事により急激な緘黙となる「トラウマ性緘黙」と突然声が出なくなる「失声症」です。
どちらも場面緘黙とは異なります。
それでも、トラウマ性緘黙や失声症と混同されることも多く、家庭環境によるものだったり、親が過保護すぎたりすることからおこるとの誤解がまだ、根強く残っています。
私も実際、スクールカウンセラーの方に上の子の相談をしにいったとき、遠まわしにいわれました。
まだ勉強不足であった私は「自分の責任だったのか」と、上の子の寝顔をみながら、どうしようもない罪悪感に苛まれました。
その日は一晩中泣きながら上の子に謝り続けることしかできなかったのです。
この子の未来は私が守る!
現状として、場面緘黙の専門家はほとんどいません。
そのため、いくら病院で場面緘黙と診断されても、何の治療も受けられずにいることが多いのです。(上の子もそうでした。)
さらに、別の診断が下されてしまうケースもあり、場面緘黙であると正しく認識されることすらできないこともあります。
ただ、治療が受けられないとしても、何もしないままでいれば症状を良くすることは難しくなります。
周りのサポートがなければ、上の子は誤解され孤立し、ますます話すことができなくなることも考えられます。
また、ただ話そうとしないだけだからと何もされないまま大人になり、社会生活を送ることすら困難になることがあるのです。
すると、うつ病などの二次障害を発症する可能性もでてきます。
我が子の未来の道を守らなければいけない。
「母親である私が何とかしなければ。」
じっとしていても、上の子の状態は良くなりません。
自分たちで学んでできることをするしかないのです。
「何をどうすればいいの?」
「何が正しいの?」
「今やっていることは、この子のためになっているの?」
今も続く葛藤の中で、場面緘黙をもつ上の子が自分らしく生きていける道を、上の子と共に手探りしながら懸命に切り開こうとしています。
今ですらこのように考えることができるようになりましたが、下の子を出産後、下の子の心臓のことで不安を抱えながら上の子の状態で悩まされていた時期は、ワンオペ状態も重なり心身ともにブラック状態でした。
理想とは違う、うまくいかない我が子への対応。
毎日、毎日、子ども達のことだけで頭がいっぱい。
やらなければいけない家事も思うようにできず、できない自分を責めつづける日々。
もう、自分のことはどうでもよくなり、いつしか美容院へ行くことすらしなくなっていました。
ある日、鏡に映る自分の顔をみて愕然としました。
「こんな絵に描いたような不幸そうな顔していたら、子ども達まで不幸にさせてしまう!」
このままではダメだと気づいた瞬間でした。
私は本当に子ども達を守れているの?
私は夫婦二人だけのときはパートで様々な職を体験しながら、夢中になれるものがない物足りない気持ちを資格をとることで補っていました。
思えば昔から何をしても夢中になり切れず、好きな芸能人さえも見つけられない、人にも物にも執着することがない。
でも、新しいものは嫌いじゃないし何かに夢中になりたい。
そんな、鬱々とした状態でいました。
おそらく子どもの頃から、自分がやりたいことを見つけても蓋をすることを繰り返していた私は、自分のことで夢中になって執着することを無意識に遮断するようになったのかもしれません。
そんな中で我が子に出会うことができ、こんなにも愛しい存在がこの世にあったのかと夢中になったのもつかの間、次第に自分がどんどん削られていく感覚に襲われていきました。
自分を尊重する余裕も時間もなく、過ぎていく毎日。
あるとき、ふと、自分の存在意義は何だろうと考えたことがあります。
そのとき私がだした答えは、子供たちが私を見て、安心できたり希望をもったりできるような存在でいることでした。
それなら・・・
「どんどん元気をなくして、輝きをなくしていく母親を見て、我が子は何を想う?」
「自分の身を削って尽くそうとすることを押し付けるのが親の愛だなんて、私はなんて傲慢な人間なんだろう。」
自分を大切にしなければ、本当の意味で我が子を幸せにはできない!
そう気づいたとき、私はWEBライターの世界に出会いました。
ただ「そういえば、小学生のころ感想文を褒められていたな」ほどの能力しか私にはありません。
「パソコン?文字位ならゆっくり打てますよ」との無謀な状態からのスタートです。
そして、クラウドソーシングというものを初めて知り、とりあえずやるだけやってみようと、やり始めて間もない頃でした。
ライターのことを書人と呼ぶ、この場所を見つけたのです。
こうして、私のライター人生が始まりました。
私の描く未来地図
私は新しいものに飛び込むことは思いの外できるのですが、警戒心は強い方だと思います。
石橋を叩きすぎてよく割っていました。
それでも、自分の目標とするところに今やっていることの意味を照らし合わせて、必要だと思えば突き進みますし、無駄だと思えば即手放すことも厭わない性格です。
そんな私が、今もこの場所で続けています。
まだまだ、学ぶことがいっぱいあります。
教えてもらうことがたくさんあります。
困ったときに助けてくれる仲間がいます。
迷いながらも続けることで、最初の段階では見えなかったものが、最近いろいろと見えてきました。
悩んだときは、今消費されるたくさんの時間が最終的な自分の目標に必要かどうかを、その時々で考えればよいのです。
ここは、誰かが提案したことや決断したことを嘲笑ったり、頭ごなしに拒否や否定したりする人は誰一人いません。
あなたの進もうとする道を温かく見守り、時にはそっと背中を押してくれる人達ばかりです。
上の子のことでもWEBライターの世界でも、結果を急ぐことなく目標をしっかりと持ち、ブレずに続けていけば、おのずと道は開けていくと思いはじめた今日この頃。
おもいきってWEBライターの世界に飛び込み、まだ自分が夢中になれるものがこの世にあったと気づけたときの喜び。
そして、これからどんな道を切り開いていこうかとワクワクする未来への希望。
私の未来地図には私の道だけではなく、二人の我が子の行く道にも添えることができる新たな道を描いている途中です。
私の辛い経験も含めた経験全てが、いつか宝物となり誰かを助ける力になるかもしれないと信じて、今日も私は記事を書いています。
そして、あなたの未来地図作成のお手伝いを、私達「書人」にさせていただけませんか?
一緒に、ワクワクする未来への道を切り開いていきましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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