ケントです。
いつもありがとうございます。
僕はウェブ空間の中で作ってみたい世界があります。
しかしながら、その規模が大きくて一人では到底成し遂げられません。
なので、自分の世界観に共感してくれた女性ライターと一緒に取り組んでいます。
一緒にあーでもない、こーでもないと言いながら毎日ワクワクしながら取り組んでいます。
僕の実現したいことは、女性、とりわけ主婦さんが「書人」として活躍できるステージを作ることです。
ちなみに、このコミュニティーの中では、みんなお互いを「ライター」ではなく「書人」と呼んでいます。
ライターはクライアントへ記事を納品し報酬を得れば基本それで終わりです。
また新たに次の記事に着手し、クライアントへ納品。
そしてまた次の記事へ・・・。その繰り返しです。
ライターとは書く仕事ですが、ごく一部の恵まれた高報酬ライターをのぞき、
生涯これを独りで続けていくのはなかなかの覚悟がいると思います。
何よりも自分の資産としては残りませんよね。
「書人」
自分のために記事を書き、着実に自分の資産として残し、それを「個のスキル」として世の中に発信し稼ぐ人
僕は「書人」をこのように定義しています。
そして、気の合う「書人」が集まり、「ライティングの面白い未来」に向けて全員で取り組んでいく環境、
すなわち、
「書く仕事」を「書く人生」にできるコミュニティーの形成
これを実現するために現在進行形で取り組んでいます。
コミュニティーの中には本当に尊敬でき、魅力的な書人がたくさんいます。
そこで、今回はその中の一人の書人を紹介したいと思います。(ブログは共有できるのでお招きし、執筆してもらいました(*´ω`))
もし良かったら、読んでみてくださいね。
もしかしたら、読者様のライター人生において何かのきっかけになるかもしれません。
ケント
このページを開いてくださり、ありがとうございます。
はじめまして。書人kokekoと申します。
やんちゃな2人の男の子を相手に「自分はこんなに大声で怒鳴ることができる人間だったのか……」と思いながら毎日を過ごしている、アラフォーの主婦です。
この度、ケントさんから「書人からの手紙」を書く機会をいただきました。
これから、自分がライターになるまでの人生を振り返ってみようと思います。
小さい頃から文章を書くのが好きで「書くことを仕事にできたらいいな」と思っていました。
忙しない毎日を送るうちにその思いを忘れ、だいぶ遠回りした後。
私は今、「書くこと」と「誠心誠意書いたものを見てくださる人がいること」に幸せを感じています。
遠回りしても大丈夫。
いつ始めても遅くはない。
自分に必要なものは、必要な時に、必ず目の前にやってくる。
私が「書く仕事」と出会うまでの日々に、少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。
「書くこと」を仕事にしたいと思っていた幼少期
小学生の頃は、漫画家になりたいと思っていました。
毎月のお小遣いを使って、発売日に「りぼん」を買いに行くこと、弟が読んでいた「ジャンプ」を読ませてもらうことが、私の日常。
仲の良い友達と、好きなキャラクターの絵を描いたり、漫画の内容や推しキャラについて議論したりしているうちに、いつしか「私もこんな漫画を描きたい!」と思うようになります。
自由帳に自作の漫画を描いては誰でも見れるように教室の後ろに置き、漫画家気分を味わっていたのですが……
ある時、それを読んだクラスメイトに言われた言葉にハッとします。
「絵が下手。背景とか描いてないじゃん。」
子供って容赦ないですよね。
景色を描くことに苦手意識を持っていた私は、自分のスキルではこの夢は叶えられないのでは……?と思い始めます。
そこで。
当時、漫画だけでなく小説も読むようになっていた私は閃きました。
「漫画家にはなれなくても、絵を描かなくていい小説家になればいいのでは?」
すぐさま分厚いノートを買って物語を書き始めるのです。
これが、文章を書くことになる、最初のきっかけです。
それから長い間、物語を書いていましたが、最後まで書き終えるというのは簡単なことではありませんでした。
途中まで書いても、テストや部活で間があいてから読み返すと、全然思っていたのとは違う……。
書き直して、また間があいてから読み返すと、また違和感……。
結局、ストーリーの序盤を行ったり来たりすることの繰り返し。
エンドレス推敲状態。
物語を書くのって難しい。
でも、このまま文章を書く仕事に就けたらいいな、となんとなく思っていました。
小説家でなくても、なんでもいいから「書くこと」を仕事にできたら、と思っていたことを、よく覚えています。
「書くこと」を続けながら、看護の道へ
書くことはとても楽しく、時間を忘れて夢中になることができました。
ですが、好きで書いていた物語は一向に形にならず、だんだんとそれを職業にするのは難しいと感じるようになっていました。
そんな高校1年生の春。
部活帰りの電車の中で、先輩に「進路はどうするの?」と質問をされました。
中学の時に友達に小説を見せて大笑いされてからというもの、学校では「書いている」ことを隠していた私。
どう答えるか迷った末、母も看護師をしているし……という思いが過ぎり、口にした言葉が……
「看護学校を受験しようと思ってます」
私の答えを聞いて、一つ上の可愛らしい先輩の顔が満面の笑顔に。
「同じ!!私もなの!!看護師って素敵だよね!」
この時、私の進路は決まりました。
動悸が不純、流されるにもほどがあるだろ!と思いますよね。
ですが、心の奥に「看護師になるもの良いかもしれない」という思いがあったんだと思います。
当時母が再就職をし、看護師の仕事の楽しさややりがい、手に職があることの大切さを、何度も聞かされていたからです。
看護師を目指しながら「書くこと」を続ければいい。
この時は、そう思っていました。
無事に看護短大に合格し、卒業後は付属の大学病院に就職しました。
看護師は3K(危険、汚い、キツイ)とは聞いていましたが、仕事は想像以上に過酷でした。
指導係の先輩から、初めての現場で言われた第一声は、今でも忘れられません。
「こっちは忙しいんだから、あんたばかりの相手してられないんだよ!勝手についてきて見て覚えな。」
必死に先輩の後をついて回り、毎日体力の限界まで働いて、帰ってご飯をかき込むように食べて寝るだけの日々。
新人時代を乗り越え、仕事に慣れてきても、激務であることは変わりません。
- 3交代で勤務時間も不規則
- 3時間残業は当たり前
- 日勤では患者さんを10人以上受け持ち(夜勤では25人)
- 手術出し、手術受け、抗がん剤治療をしながら、手術後の離床や清潔ケア
- その上新人さんや学生さんの指導や、割り振られた委員会の仕事
神経をすり減らしながらの毎日でしたが、それでも看護師の仕事は好きでした。
辛くても続けられた理由は、患者さんからの言葉。
「あなたがいてくれてよかった」
「あなたが来てくれて安心した」
「ありがとう」
どんなに忙しくても、この一言に救われ、やっていて良かったと思える。
自分の仕事のひとつひとつが誰かの役に立っているんだと思うと、やりがいもありました。
若いうちは残業をしても次の日しっかり起きて仕事に行けましたし、寝ないで夜勤に行っても支障はありませんでした。
それが、年を重ねるにつれ辛くなり、夜勤の前日は寝ないと体がもたない、でも、眠れない……。
だんだんと、眠剤を飲まないと眠ることができなくなっていきました。
仕事以外の時間は、休むことと、ストレス発散に費やされました。
あんなに楽しかった「書くこと」は、だんだんと心の片隅に追いやられていきます。
この頃には「書くことを仕事にしたい」という気持ちも薄れ、自分が何を書きたいのかも分からなくなっていました。
「書くこと」を忘れ、子育てと仕事に奮闘する日々
就職して6年目、過酷な仕事環境で病みかけていた頃……旦那と知り合いました。
体力的にも精神的にも、ここで働き続けるのは難しいと感じていた時期でもあり、結婚を機に退職。
すぐに長男を妊娠、出産し、初めての子育てでてんやわんやの日々の中、3.11東日本大震災が起こります。
長男は1歳になったばかりでした。
都会で小さな子供を守りながら生活することに限界を感じていた私。
できるだけ地震の少ない場所への引っ越したい……
意を決して、田舎へ引っ越し、長男を保育所に預けて再就職。
専業主婦は諦め、仕事と子育ての両立に勤しむ道を歩むことにします。
再就職先の病院は、子育てをしているママも多く、理解のある職場でした。
一度バスに乗り遅れて(1本逃すと30分後にしか来ない)遅刻寸前タクシーで職場に着いた時。
「そんなに急いで来んでも大丈夫よ~ゆっくり来たらいいんよ」
と言われて、驚いたことがあります。
以前は1日休むだけでも、白い目が怖くて頭を下げて歩いていたので。
大学病院時代と比べると、仕事のやりがいを感じることが多くなりました。
時短勤務で働かせてもらえていたので、気持ちに余裕が持てたのかもしれません。
職場に慣れて、人にも慣れてくると、自分もここで役に立ちたいと思うようになります。
いつしか「この職場でずっと看護師として働けたら幸せだな」と思うようになりました。
そんな温かい職場でも、子育てと仕事の両立というのは、想像以上に大変でした。
嫌な顔をせず欠勤を許してくれる職場でしたが、やはりできるだけ迷惑はかけたくない……。
子供の体調不良時に欠勤する代わりに、自分の体調が悪い時は無理して出勤する日々。
子供を優先すると、仕事を休むことや、残業をせずに帰らなければならないことも多くなります。
逆に仕事を優先すると、子供が辛い時に無理をさせてしまったり、子供との時間を減らすことになります。
その狭間で悩み「1日が48時間あればいいのに」「自分が2人いればどちらの時間もしっかり取れるのに」と何度も思いました。
再就職して1年半が過ぎた頃に、家を建てて実母と同居することになりました。
母の協力もあり、子供の体調不良で仕事を休まなければならない日々が格段に減り、ますます仕事に子育てに奮闘する日々。
悩みながらも、なんとか仕事と子供を半々に優先しながら、田舎での暮らしは順調であるように思えていました。
次男が産まれ産休復帰した後も、私はこのままこの仕事を続けて生きていくんだな、と思っていました。
そんな矢先。
コロナウイルスが流行し始めます。
未知のウイルスに怖さは感じていましたが、誰かがやらないといけない仕事。
やるべきことをやっても感染してしまったなら、それは仕方がない、と腹をくくって仕事に行っていました。
ですが、家族は違いました。
同居する母は高齢で、持病も持っています。
だんだんと私が仕事に行くのを見送る顔がひきつっていくのが分かりました。
母は、だんだんと食事ができなくなり、夜も眠れなくなっていきます。
母の状態を見て、子供の気持ちも不安定になっていきました。
私が初めて感染外来でPCR検査の補助を担当した当日。
仕事から帰って母の疲れ切った顔を見た時に、これは仕事を続けている場合ではないかもしれない、と感じ、急遽退職を決断することになります。
看護師を辞めたら自分には何も残らない
退職後、母の体調は少しずつ良くなっていきました。
後から分かったことですが、コロナ鬱でした。
病院へ付き添い、何度も検査を受けましたが、体中どこを検査しても悪いところは見つからないのに、食べられない、寝れない、体重がどんどん減っていく。
もし私が仕事を続けていたら……と思うと、今でも怖くなります。
ですが、予定していなかった急な退職に、私はしばらく落ち込みました。
母の状態を見たことがきっかけで、分かったことがあります。
「家族の理解がなければ、この仕事は続けられない」ということ。
看護師の仕事は、仕事内容を選ばなければあぶれることなく、一定の収入が得られる仕事だと思います。
ですが、家でできる仕事ではないのです。
家族の理解が得られなかったり、介護などで家を空けられなかったりすれば、資格を持っていても何もならないということに、この時初めて気が付きました。
そして、このまま働けない日々が続くことに不安を覚えました。
何か家でできることがないかと、テレビで話題になっていたクラウドワークスに登録してみたものの……
今まで看護師しかやってきていない私には、できる仕事が見当たらないのです。
経験者優遇、連絡はchatworkで、Googleドキュメントが使える方……
何を見ても「????」とクエスチョンマークが並ぶだけ。
いくら採血ができても、点滴の管理ができても、今の私は役立たずです。
40歳にもなって、何もできることがない、自分には何もないんだ……と打ちのめされていました。
遠回りでも、また出会うことができた夢
かろうじて誰でもできるだろうネーミングの仕事などに応募してみるものの、採用されるわけもなく、途方にくれていたところ。
SNTに出会います。
(やっと出会いました!長かった!)
オンラインでの記事添削の募集要項を見て「これだ!」と思いました。
そこには
「書く仕事を書く人生に」
と書かれていました。
急に心に風が吹き抜けたかのように、昔「なんでもいいから書くことを仕事にしたい」と思っていた感情が蘇ってきました。
ここに行けば、私も書く人生を歩めるかもしれない……?
吸い込まれるように応募し、添削を受け、すぐにSNTへ入会することに。
そして、半年経った今、私は書く人生を歩んでいくために、一歩ずつ進んでいます。
小さい頃に夢見た「書く仕事」をするために、やっと歩みだした半年前。
今までの人生を振り返ると、ずいぶん遠回りしたなぁ~と思いますよね。
ですが、今までの出来事がなければ、私はSNTには出会えなかったと思っています。
人は、その時必要としているものに、引き寄せられるように出会える。
という話を、昔知り合いから聞いたことがあります。
求めているものが自然と目に入るようになっている、と。
数多くあるクラウドワークスの案件からSNTを見つけられたのは、私がそれを求めていたから。
全く疑うことなく、応募してすぐに入会したのも、そういった直感でした。
看護師の仕事は今でも好きです。
家族の理解が得られ、その時に働ける場所があれば、また看護師として働くこともあるかもしれません。
ですが、一度看護職から離れることも、人生に必要なことだったのではないかと、今なら思えます。
「書くこと」を続けていく人生を送りたい
SNTに入会してから半年が経ちました。
添削者さんのお力を借りて、今までに10記事書かせていただきました。
1記事ずつ進んでいくうちに「自分には何もないんだ」と落ち込んでいた気持ちは、少しずつ軽くなっています。
初めて知ること、学ぶことがたくさんあり、できることが増えていくのが、とても嬉しい。
まだまだライターとしてはひよっこで、家計を支えることもできませんが、10記事書き続けられたことは自分の自信に繋がっています。
もちろん「書くこと」は簡単なことではありません。
昔のようにひとりで書いていたら、ここまでこれなかったと思っています。
SNTには仲間がいます。
皆さんやりたいことに向かって前向きに努力されている方ばかりです。
その仲間が、自分が書いた記事を読んでくれるだけで幸せなのですが、それだけではありません。
うまく書けない時は励ましてくれる、アドバイスをくれる、そして、自分の良いところを褒めてくれる。(この年になると褒められることがないので、ものすごく嬉しい!)
これほどパワーをもらえる場所はありません。
ここにいれば、一度やめてしまった「書くこと」も続けていけると確信しています。
私は今になってやっと、子供の頃夢見ていた「書く仕事」に向かって進むことができています。
消して遅いなんてことはありません。
遠回りしても、今出会えたということに、意味がある。
ぜひ、あなたの夢の第一歩を踏み出してみてくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました
対談動画も良かったらご視聴ください!
→ TOPに戻る